なんの足しにもならない

140文字じゃ収まりきらない

れんあいのおはなし

こんばんは、峠野です。

 

今回は少し真面目な話というか、twitterでつらつらと書いてTLを埋めるのが躊躇われたので、こちらにまとめようと思います。

 

 

自分の気持ちの整理というか、ただの葛藤を書き殴るだけですので、多分文章も支離滅裂かつユーモア0です。

自己満ブログだし今更気にしてもしょうがないことしか書いていませんが、今回はいつも以上に自分のためだけに書いたものなので、興味があれば読んでみては(ただし推奨はしない)って感じです。

読んだ後につまんねえとかクレーム言ってきても知りませんよ。当社は一切の責任をおいかねますからね。

 

 

 

 

 

 

 

私は、大学生に入ってから一度も恋愛をしていない。だれのことも好きになっていないし、誰かに想いを寄せられたこともない。まして、恋愛感情がない相手と一夜だけの…という関係も全くもってない。

 

声高々に言うべきことではないが、私は恋愛経験が皆無に近い。というのも、(詳細は避けるとして)今まで数名の相手に一方通行に想いを寄せただけなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。昔、自虐として散々酷使したネタだが、私は業務的状況以外で異性との接触をしたことがない。手すら純白を保って22年が過ぎた。

 

 

そんなだから、私にとっての恋愛はキラキラと輝いたものとして存在している。頭ではわかっている。おそらく私の「恋愛像」はフィクションの恋愛だ。恋愛に夢を見ている、頭にお花畑を携えたアホ女だ。

とは言え、少女漫画や乙女ゲームにありがちな「お前は俺のもんだから」とか、そういう歯の浮くような台詞に夢を見ているわけではない。白馬の王子様がいつか私を迎えにきてくれるはずよヒヒーーン!!とか考えているわけでもない。

よくメディアで取り上げられるような「リアルな恋愛」が全くわからないのだ。「女性からの共感の声が〜」と、枕言葉として紹介されるドラマなども、共感ポイントがちっとも分からないのである。女性が共感するらしいリアルな恋愛は、大抵私には汚く見える。ぐちゃぐちゃな感情を、決して幸せには見えない状況を、世の中では「リアルな恋愛」というらしい。

こんなものがリアルであってたまるかと、私は逃避する。確かにそういう恋愛も存在するのだろうけど、私は違う。私の恋愛はもっと楽しいものであるはずなんだ。だって幸せの象徴でしょう、恋愛ってそういうものなんでしょう?私が幼い頃から好きな物語は、最後は好きな人とハッピーエンドを迎えてきた。恋愛することで輝いてきたんだ。それなら恋愛は…とかなんとか考えながら、私は恋愛の汚い部分を見ないようにしてきた。

 

だが、本当は知っている。

流石に22年間も生きてきて、周りの友人やら嗜好的に楽しむインターネットや雑誌などの情報源やらを見聞すれば、自分に経験がないとはいえ、恋愛がただ単純にキラキラとしていて、楽しいだけのものじゃないことくらい。

それくらい分かっている。アホ女には違いないが、そこまで頭はイカれていない(はず)。

 

それでも私は信じたい。自分が経験するその瞬間まで、恋愛は綺麗なものだと信じていたい。

たとえ「やっぱり恋愛は汚いものだった」と、あの時現実と向き合わなかったことを後悔したとしても、私は恋愛は幸せの象徴として、憧れ続けていたい。

 

 

私は女なので男はどうだかわからないが、女は本人の意図を問わず、マウンティングをし合っている生き物だと思う。そしてその酷さは、年齢と比例する。

女にとって恋愛はきっと永遠のステータスだ。その基準が量か質かは本人の価値観によって変動するが、恋愛は女にとって大きなステータスとなる。現に彼氏をアクセサリー感覚で選ぶ女もこの世に一人くらいいるだろう(私はそんな女に会ったことがないのでしらんけど)。

彼氏がとてもいい人、過去に何人もの相手と付き合いセックスをしたなどの、何も「プラス要素(と考えられる)」恋愛だけが武器となるわけではない。たとえ元彼が最低野郎だったとしても、人によっては「私はこんなに不幸な目にあったんです〜〜でもここまで頑張って生きてきたんです〜〜!」という不幸のヒロインアピールとしての材料になるから、女は侮れない。とにかく、恋愛は女にとってものすごい強い武器なのだ。その武器はマウンティングで大きな威力を発揮するのである。

 

私は本当にプライドが高い。昔から死ぬ程負けず嫌いで、小さい頃は負けていたゲームは全て泣き喚きながらリセットしていた、トンデモワンパク自己中ガールだった。

そんなプライドエベレストな私が、恋愛では圧倒的に他の女に負けている。悔しくないはずがない。死ぬほど悔しいし、自分が惨めになるし、死にたくもなった。でもだからと言って、「女に負けたくないから」という史上最高にくだらない理由で、恋愛に必死になるのもプライドが許さなかった。己のプライドとプライドの合戦である。辺りは血まみれだ。

 

そんな状況を、私は放置しておいた。泣かぬなら鳴くまで待とう….って鳴く前に死ぬぞ!

…案の定、私はいつの間にか拗らせてしまっていた。長い戦だった。身を削って闘った私のプライドは、もう原型を保ってはいなかった。

ズタズタになったプライドは、己の自己評価を下げるようになった。私は自虐に逃げた。

私なんて、が口癖になった。今でもその癖が抜けないし、幾分かはマシになったとは言え、自己評価はそう高くならない。

ネガティヴな発言も増えた。でも、最後に残っていた「私は最高に面白い女である」というプライドだけが、私をどうにか私でいさせてくれて、ボロボロになった私を隠そうとしてくれた。

 

この長い戦が、私の恋愛への憧れに拍車をかけることとなった。

「この私を負かした女たちが楽しんでいる恋愛が、楽しくないはずがない」(ラノベかな?)

と、原型がなくなりつつも己がプライドであることを忘れていなかったそれが、最後の足掻きを見せたのか、滅茶苦茶偉そうな態度で勝者である女たちを羨んだ。

こうして私の恋愛至上主義思考は悪化したのである。

 

 

 

そんな拗らせた考えも、ゼミやあらゆる場所で色々と考えているうちに少しだけ和らいだのか、おそらくプライドが復活してきたのか、今ではあまり過激な発想には至っていない。

 

 

 

だが

 

新たな問題に気づいた。

 

 

私は、何度も言うが恋愛経験皆無の女である。

そして恋愛に対する憧れは未だに持ち続けている女でもある。

大学生も残り数ヶ月、おそらくこの間に恋愛をすることは99%無理だ。つまり、私の次の恋愛は社会人になった時となる。そして私は今まで誰かと付き合ったこともないし、異性と二人でどこかに出かける…なんて雲の上の話の世界で生きてきた。

そんな武器も何もないレベル1の勇者(この例えがとても好き)が、いきなり「やみがふかいダンジョン」に足を踏み入れたらどうなるか?

 

…即死だ。ゲームオーバー。この世はゲームじゃないので永遠の眠りにつくこととなる。

私はまだ死にたくない。だからと言っていきなり恋愛の真実を知り、エンドロールも見たくない。もっといっぱい冒険がしたい!そして、私よく頑張ったね、こんなこともあったね、と涙を流しながらエンドロールを迎えたい。

 

それにしては遅すぎたのだ。私が理想とする恋愛像やデートは、「学生レベル」ということに気がつかねばならなかった。己を傷付けるしかなかったプライドの合戦なんてしている場合じゃなかったのだ。つくづくアホな女である。

私は学生レベルの恋愛を経験することなく、社会人になるのである。その事実がどれだけ恐ろしいことか、なぜ今まで気がつかなかったのか。

 

学生のうちに遊んでおくべきだ、というのは、恐らく恋愛のことも大いに含んでいるのだと思う。私は学生のうちに恋愛をしなければならなかった。そうして、綺麗な恋愛は嘘なのだと、身を以て経験せねばならなかった。

それなのに、私はそれを怠ってしまい、異性から求められることもなく、自己評価が下がっていく日々を送っていた。

 

私は怖い。もし、次に恋愛する時がきたとして、この恋愛像を壊されてしまうのが。学生の間だったら、「若いし学生だし仕方ない☆」と見逃せたかもしれないのに、もうその保険が使えないのだ。

私は怖い。もし、次に異性から求められ、私の最後の縄であった処女である事実を解き放った瞬間に、今まで拗らせてきた反動で暴れてしまうのが。「私にも異性からの需要があるのだ」と勘違いして、20代後半にもなってあちこちで遊んでしまったらどうしようか。

今は処女である事実が、私が私を大切にする最後の頼りなのである。私はまだ私を保っていられるのは、皮肉にもこの事実があるからだ。もしこれがなくなってしまったら、ひょっとすると、「女なんて、私なんて所詮男を満足させる道具に過ぎないのだ」と、拗らせた思考と悪魔のコラボレーションをかまして、取り返しのつかないことをするかもしれない。そんなことになれば切腹だ。

 

 

 

 

私はこれからどうなるのだろう。

皆が恋愛で楽しんでるのが羨ましくて、私も早く経験してみたいな、と思う反面、私が私で無くなる可能性が見えて、非常に怖いのである。

 

 

…この時点で、恋愛はキラキラしたものではない事実を認めるべきなのに、私はまだ夢を抱き続けてしまっている。やっぱりとんでもないアホ女だ…