なんの足しにもならない

140文字じゃ収まりきらない

"アブノーマル"・コンプレックス

こんばんは、峠野です。

 

梅雨入りしましたね。

 

ハイ、もう前置きも面倒なのでぶっ飛ばします。峠野選手、前半3分で早くもロングシュート決めます!!!本題に入ります!!!!

 

 

(もうなんか最近このブログ、面白さが皆無でホント自分でも悲しいのですが、吐き出したい気持ちの方が多いので許してください。

楽しいことがあったらその時にちゃんとネタ満載で書きます。

理想の結婚式、葬式についてなら今の気持ちなら書けそうです。いつか書くかもしれないので、よければその時に読んでください。

 

ここからは何も笑えないし面白くないんで、読まなくても良いです。寧ろ読まない方が精神の安全が保たれると思います。例に漏れずクソネガティブなので。

梅雨でイライラしてんのにオメーのウジウジ話聞いたらカビ生えたわ!みたいなクレーム入れられても困るのでね!)

 

………つーか結局前置きしてんじゃね〜〜か!

 

 

 

 

 

 

 

慢性的な病気にかかっています。

治る見込みはゼロ。

多分、死ぬまでこれと付き合うことになるのでしょう。

 

 

厨二病」。

 

 

いつかかったか、私には記憶がありません。

 

 

 

 

 

 

 

小さい頃から、周りに言われ続けてきました。

 

 

 

「峠野ちゃんって"変わってる"ね」

 

「峠野って"個性が強い"よね」

 

「峠野って"頭おかしい"」

 

 

 

そうです。昔から程度の差はあれ、「変わった人」として周りから扱われていました。

 

 

 

 

 

そんなん、

 

 

「私は、他の皆とは違う存在なのだ」

 

 

と、厨二病に侵された私にとって、得意げになる材料にしかならんかったのですわ。

…ええ、高いプライドと相まって事態は最悪ですよ。

せめてもの救いは、「他人に嫌われたくない」という八方美人な性格があったおかげで、高飛車な態度をあまり見せないようにしていた(つもりだった)ことくらいで。

 

 

 

…心の中では、ほとんどの人間を見下していました。(今でもその節はある)

 

 

 

ええ、最悪なんですよ。

私って性格クソ悪いんです。つーか、みんな知ってるでしょ、日頃から殺意に塗れた奴が性格いいわけないでしょ。私が死後行けるのなんて天国でも地獄でもないですよ、私だけの牢獄に閉じ込められるが運命です。

 

 

まあそんなことはどうでもよくて、とにかく昔の私は「普通」じゃない自分に酔いしれていました。これは結構皆もそうじゃない?

 

 

そうして、時は過ぎ、高校生になると、まあ本気ですごい人たちがわんさか周りに現れてくるわけですよ。「どこのジムリーダー?」と尋ねたくなるくらいに、実力者揃い。頭の良さ、性格の良さ、要領の良さ、人間の器の大きさ……つーかいやもうなんか全部。すげえんですよ。

そりゃあ、いくらプライドが高い私でも、儚い夢から覚めるわけで、「う〜ん、私ってちっぽけな人間!!(草原の上で大の字になりながら)」とか思っちまうわけですよ。

 

 

なんの取り柄もなくなっちゃったなあ。

 

私って選ばれた人間でも、なんでもないんだなあ。

 

 

 

そんなことを思うようになって。

厨二病も完治かな、とか思ってました。

 

 

 

でも、ここで負けないのが私のプライドです。

寧ろ意地を張ってきやがりました。無駄な争いをすな。無駄に血を流すな。そんなに血を流したいのなら献血をしろ。世のため人のために生きろ。情けは人の為ならず。

 

 

まあとりあえず、プライドが「テメー殺す!!!!」とパワーアップして、

 

 

「私が他の人間より劣る?同じ?ぶっちゃけあり得ない!!!制服着てても2人(私とプライド)は滅茶苦茶タフだしぃ!???(誰よりもタフじゃねえ)」

 

と私とふたりでプリキュアになりました。

 

 

 

プライドは私に言いました。

「お前が他の人間より同じ、まして劣るなんて有り得ない。いいか、お前は他の人間と違うのだ、そう思い込め。じゃねえと殺す」

 

 

なんつー恐ろしいプリキュアだよ。朝のヒロインまかせらんないよ、こんなのPTAから苦情が入りまくって深夜枠に即移動、下手すりゃ放送中止。

 

 

恐ろしくなってちびりそうになったので、渋々プライドの言うことに従いました。高校生にもなって、ましてプリキュアになって、漏らすのはちょっと(いやだいぶ)嫌ですもん。というか、これこそプライドにブチ殺されて放送打ち切りになります。

 

 

「私は"変わった"人間なのだ!"普通"じゃないのだ!!!」

 

 

自分に言い聞かせようと必死でした。

「変わった人」というのは、アイデンティティだと信じ込んでいたから。

「変わってるね」と言う言葉は、褒め言葉だと思い込んでいたから。

 

「普通じゃない」、それは私にとって誇りであったのです。

 

 

だから、「変わっている」と自分に言い聞かせていた。

お前は立派な人間なのだ、と自分に自信を持たせるために。

 

 

最初は渋々だった私も、だんだん気分が乗ってきて、なんならプライドを置いてけぼりにするくらいに、<作られた>「変わった私」に酔いしれていました。

 

 

 

 

でも、そんな夢からも覚めました。

自分が「厨二病」だと自覚した頃、高校2年くらいです。

 

 

 

 

 

そうです。私は普通の人間でした。

何も特別なことなどない、ごく普通の人間。

「変わったこと」には未だに憧れはある。

それは慢性厨二病だから。一生「特別」な存在を羨むのはしょうがないのです。

 

 

 

でも、私はそうではない。

私は「特別」でも、「変わって」も、何もないただの普通の人間でした。

たまに、私は特別な人間だと今でもほざくことがありますが、真剣にそう考えているわけではありません。昔は真剣でしたが、今は所詮ネタです。

 

 

 

 

 

 

そんな感じで、自分の平凡さに気づいて大人しくなりました。

 

 

 

でも、おかしいのです、

 

私はあくまで真面目に、普通に、一生懸命やっているだけなのに。

 

「普通」じゃない、と扱われて続けているのです。

 

 

 

もう「普通に」やっているのに、笑われたり、変だ、変わってる、独特だ、個性的だ、爆発的だ、他と違うと言われたり。

 

 

もう分からないのです、私は普通の人間なんです。たしかに「変わった」人間に憧れがあり、一時期はそれになろうと敢えて寄せた時期もありました。ええ。認めますよ。悪かったわね。

でも、自分の立場をわきまえました。

ただの、プライドがクソ高い普通の人間なんです。

 

 

でも、私はいつまでも「変わった人」扱いです。

 

 

 

いや、私が変わってんじゃなくて、私について来られない人間が愚かなだけじゃない?

と、思い込もうとした時もありました。

でも、それにも限界があって。

 

 

面白い、といわれるのはすきです。

 人に笑われるのは私にとって何にも代え難い快感ですから。

でも、変わってるね、は今の私にとっては複雑でしかないのです。

変わった私を演じるのは、とっくの昔にやめているから。

まあ、だからと言って面と向かってお前は普通だよ、と言って来られても多分刺すけど。

私の評価をしていいのは、私と私の認めた人間だけなのでね。他人に安易に評価されるだなんて、たまったもんじゃない。

 

 

 

もう一度言いますが、面白い、と言われるのはすきです。

どんな言葉よりも私にとっての褒め言葉です。

しかし、「面白い」女って「面白い女」としてカテゴライズされちゃうんですよ。

「普通の女」というカテゴリーから外されるんですよ。

 

 

なんか、最近ちょっと虚しくて。

 

 

もちろん、私に女としての魅力がないのは知っているし、それだけが原因ではないとも知ってるけど。

 

 

「普通」の枠から外れている、というのは1つの原因なのかなって。

 

 

私が女として扱われないのは、「普通」じゃないからなのかなあって。

 

 

 

以前から、自分から笑わせようと意識するのはもうやめました。

それでも何故かネタに走るのですが、これはもう本能的なもので、抗えないのだと知りました。諦めました。やはり私は、誰かに笑ってもらわないと生きていけないのだと思います。

 

でもそれって私にとって滅茶苦茶「普通」なことで。

 

 

それだけではなく、普段の言動全てが、今の私にとっては全て「普通」の、「妥当」の選択をとっているのです。

 

それでも、私は普通じゃない、おかしい、やばい、そんなことを言われ思われ続けるわけで。

 

 

………と長いこと言いつつも、流石にもう慣れてしまったんで、今更どうもこうもできないけれど、「普通じゃない」と言われて喜んでいた昔の自分が羨ましいです。

あの頃はそれが褒め言葉と信じてやまなかったから。

でも実際は、ただただ生きづらいだけだった。

 

 

思春期に通るべきだった悩みや葛藤が、こんな年になって今更色々と自分に弊害を与えてきていることにも、嫌気がさします。

 

 

「私にとっての普通」は、「周りにとっての個性」であって、

 

じゃあその「普通」を捨てたなら、私は幸せになれるのでしょうか。

その前に、私はその「普通」を捨てたら、どうなるのでしょう。

ずっと「私にとって普通じゃない状態」を、演じなければならないのでしょうか。

 

そうしないと、私は人並みの幸せを手に入れられないのでしょうか。

 

 

そうなった時、私は本当に私なのでしょうか?

 

 

その時仮に幸せを手に入れたとして、それは本当に私のもの?

 

 

 

 

 

私は、幸せになりたいだけです。

 

 

私は、どう生きたらいいんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな感じの「答えが出るはずもない問いの海」を、いつまでも泳ぎ続けていますが、もうそろそろ体力的に限界です。

 

 

だれか助けてくれないかなあ。