なんの足しにもならない

140文字じゃ収まりきらない

自己分析って就活の時よりも多分就職してからの方が役に立つ さよなら平成ver.

こんにちは、峠野です。

 

平成最後、という流れに乗って私も書きたくなりました。ということで書きます。

 

 

就職して1年が経ち、私はもう新人ではなくなってしまいました。

だからと言ってすぐ仕事ができるわけでもなく、あまりにもポンコツな自分に嫌気がさして、泣きたくなる毎日。

 

本当に自己肯定感がないんです。

生まれてから一度も、自分を丸ごと肯定したことがないと言っても過言ではない。

何か成果を出した覚えが一度もない。

だから就活も正直自己PRでつまづいた。良いところがない。冷静に考えても、過大評価をしようとしても、アピールできるようなところがほんの一欠片もないんです。

頑張ったとしても、誰かの力を借りたからできて当たり前、というように何かしらの理由をつけて、自分を100%褒めることが出来ず生きてきました。

 

 

だから、一年経ってひょっとしたら少しは成長してるかもしれないけど、自分では何も変わってないと思う、あるいは思い込んでいます。

 

 

自分の生きづらさに時折虚しくなります。

面白い、と言われるのが嬉しくて今までこうやって生きてきました。

でも、こういう性格だとどうしても周りから言われるのが、「悩みがなさそうでいいね」「何も考えてなさそう」ってこと。

 

そんなわけねえだろ。

私は色々考えて、悩み抜いて今まで生きてきたんだよ。

だって、今まで私が褒められたのって「面白い」ってことしかないの。

本当は笑いたくない場面なんて腐るほどあります。

友達だろうと誰だろうと話したくない時、なんならうるせえな黙ってろ、と言いたい時だって死ぬほどあります。

でも、面白いのをやめたら、私にはなんの取り柄もなくなる。

皆に言われました、「変わらないでね」って。

私が求められてるのは、「そういう部分」だけなのだと思った。

もし変わったら、みんなに失望されて、ますます私の生きる価値なんてなくなってしまう。

そんなの、絶対耐えられません。

 

だから私は、面白いと言われ続けられるように振る舞うようにしました。

そうしたら、いつの間にかそれはくせになっていて。

鍋にこびり付いたカレーのように、どんなに擦っても擦っても、もう取れなくなってしまいました。

どんな時だって、そういるようになってしまったのです。

面白いと言われることが、私の唯一の自己肯定の術。

そうあるから、ようやく私の存在は認められる。

 

お前たちはそれを知らないから、そんなことが言えるんだよ。お前にも悩みの一つや二つあんだろ?私だって同じ人間なんだから、それくらいあるわ、と腹の中で思いながらも、ヘラヘラ笑った場面が腐るほどにあります。

 

 

面白い以外の価値がほしくて、認めてもらいたくて、日々頑張っているはずなんだけど、やっぱりそれ以外の価値が今の今まで見つかりません。本当に、私が生きる価値ってなんなんだろう。笑

 

 

 

 

 

 

でも、少しだけ言い訳をさせてください。

 

 

母親は、喧嘩したときなど不機嫌な場面で、決して私の意見を聞き入れてくれることはありませんでした。

今はもういない父親も、父親と認めたくないほどにロクでもない人間(もはや人間であるかすらも怪しい)で、到底話が通じるわけもなく。

高校まで、私は両親のご機嫌伺いをして生きてきました。

おかげで反抗期もありません。父親があんなだったから、反抗なんてしたらどうなるかわからなかった。

兄弟のいない私は母親に頼らざるを得なかった。でも母親は母親で、幼稚だから不機嫌になると途端に私の意見を聞いてくれなくなる。

だから、反抗なんてどうしてもできなかった。もし母親に見捨てられたらどうしよう、生きていくなんて到底無理だと思った。

このせいで、人の怒っている・不機嫌な態度が死ぬほど苦手になった。たまに他人の不機嫌さが露骨すぎて、(私に原因があろうとなかろうと)「私のせいだ」と責めるうちに過呼吸を起こすこともある。

 

私のせいでみんなが不機嫌になるのが怖くて、出来るだけ道化を演じて、空気をどうにかしようとする。

でも、たまにそれが空回りして、余計に怒らせることもある。そして私は自分を責める、その負のループに入ることも多々。

 

 

それに加えて、親にどれだけ論理立てて説明しても、「親だから子の言うことより親の方が正しい」という理由だけで却下される。そのうち生意気だと言われる。

 

きっと本人は気がついていないけれど、「やってあげている感」をすごくひしひしと感じる場面があった。

中学の時、部活で遅くなると迎えにきてくれたけど、私は別に頼んではいない。

むしろ、先輩に裏で「親に迎えにきてもらって、なんなの?」てな感じでよく思われていないことを知っていたから、私は一人で帰りたかった。

それでも、母親は心配だったのか迎えに来るのをやめなかった。先輩の言うことなんて気にするな、とか言われながら。

でも、段々とそれが母親にとって義務と化していたのか、「迎えに来たっとる(来てあげている)のに」みたいなことを言われることが多くなった。

私も多感な時期で、まして母親の血を受け継いでいるから感情を抑えるなんてできなくて、「頼んでないじゃん、嫌ならもういいよ」といったこともある。

そしたら「なにその態度は」と、理不尽にもキレられる、というこの逃げ場のない状況。

 

父親も「誰のおかげで食えてると思ってんだ」と普通に言っているような家庭で、母親だって嫌だったくせに。

 

 

私は父親からも母親からも圧をかけられ、不安で、苦しくて、悲しくて、情けなくて、怖くて、消えたくてしょうがなかった。でも、母親に見捨てられたら嫌だ、という考えの私は、ずっと母親の味方だった。

 

 

 

 

親ってだけで偉いのか?

たしかに、私が学生時代を無事に(?)終えられたのは親のおかげであるのは確かだ。

でも、「親だから」ってなんでも正しいのか?

 

「親に向かってなにその態度は」

死ぬほど聞いた。

我慢ができる人間ではないから、たまに小さく反抗した。

そうしたら「親だから」という理由だけで、ぴしゃりと潰された。

ああ、私って間違っているんだ、正しくないんだ。

そうだよね、私なんて、こんなんだもんね。

 

 

大学受験期に両親は離婚した。

離婚直後、(今は私の実家でもあるが)母親の実家に引っ越したら、なんのためか父親が訪れてきたことがあった。

私はもう、父親の顔が見られなくなった。

玄関の向こうに父親がいると知った途端、苦しくて苦しくて過呼吸になってしまった。

それが、センター試験1ヶ月前の話。

 

 

私は疲れて大学進学と同時に家を出た。

決して自分の家庭不幸自慢がしたいわけじゃない。

でも、私の家庭は歪だったらしい。それを知るとどうしてもしんどいし、でもどこか安心する。

私がこうなってしまったのは、環境のせいなんだ、と言い訳ができる、つまり逃げの道を知ったから。

 

 

人間の根幹を作るであろう大切な時期を、こんな蟻地獄の中で過ごしてしまったのだから、こんな風になってしまうのはしょうがないんです。

 

…と言い訳させてください。

 

 

私に自己肯定感がないのは、私がこんななのは、きっとろくに恋愛ができていないせいだと本気で思っていた時期もあります。

だれかに、彼氏という存在に認めてもらえれば、私は自分を肯定しても許されるんじゃないかと思った。

だから私は、ずっとずっと彼氏が欲しかった。

誰でもいいわけじゃなくて、私が好きじゃないと意味がなかった。

大好きな人に、存在を認めてもらって、楽になりたい。その一心で。

ちなみにネタっぽく当時は言ってたけど、結構切実でした。

 

でも、それも違った。

大好きな人と付き合って、好きだと言われようと褒められようと、完全に自己肯定感が戻るわけではなかった。勿論言われるのは嬉しい。嬉しいのに。

 

 

やっぱり、私が私を認めないと、なにも始まらないんだろうなと思う。

時間はかかるかもしれないけれど、改善策がないわけでもない。

早く、この苦しい毎日から抜け出せますように。

この低い自己肯定感と、過去の呪縛は平成においていけますように。

 

 

なんてね。

 

令和もどうぞよろしくお願いします。

根本は変わらない、でもちょっと成長した、そんな人間になりたいな。