なんの足しにもならない

140文字じゃ収まりきらない

拝啓 だれも知らないあなたへ2

こんにちは、峠野です。

自分用に考えたことを支離滅裂に綴るシリーズ、ようやく第二弾です。というより、このブログがそういう趣旨なのに、第二弾もへったくりもないですわ。

*

「私、失敗しないので」

ドラマDoctor-Xの大門未知子は、そう言っていつも難儀な手術を、本当に失敗せずに成功していく。

でもそれはドラマの話であって、現実ではほぼあり得なくて、失敗する確率の方が高い。

描かれていないだけで、大門もひょっとしたら(いやほぼ確実に)下積み時代があって、当時は失敗だらけだったのかもしれない。

とりあえず、人生はなんだかんだで失敗するようにできている。

頭ではずっとわかっている。

最初から失敗なくできる人間などほぼいないことも。

今どれだけ成功している人間が、できる人間たちが、幾度の失敗経験を重ねてそこに立っているのだということも。

でも、出来る限り失敗したくないと、恥を晒したくないと、怒られたくないと、失敗から逃亡し続けた。

それが私である。

それがまさしく失敗経験なのだという盛大なるオチ(?)に今更ながら気がついたのだが。

とはいえ、「失敗大歓迎!」「失敗したい!」と考える人間はそういないだろう。

褒められたくて、認められたくて、満足感に繋げたくて、成功経験を求める人間が大半なのではなかろうか。

でも、出来る人間のほとんどは、失敗はしたくないとはいえ、逃げることはしない。

失敗したとてそこから学び、次を成功させればいいのだという、文字にすると超常識的にも思える考えの下、行動している。

だから、今もしくはこれから成功していくのだ。

じゃあ私のような失敗絶対回避マンはどうなるのかというと、学ぶ機会がないから、成長の幅がおそろしく小さい。

だから、失敗経験を積んで成長していく人間と大きく差がつく。

そして、彼らがいともたやすく(出来ているように見える)成功しているのを横目に、「失敗したくない」「彼らはできる人だから、できない私とは違うから」と、どうにか自分を守ろうとする。

そうしてどんどん差がついて、その差は溝となり、崖となり、圧倒的格差が生まれる。

いや、全部自分のせいなんだけど。

うわ、もうね、文字にしてると自分がどれだけ馬鹿なことをしてきたのかを実感して、嫌になってきますわ。

「私はどうせ」

「私はできないから」

「私は馬鹿だから」

そんな言葉を腐るほど使ってきた。

これらのマイナスな言葉は、恐ろしいほどに効き目がある。もちろん負の意味で。

まず、言霊って本当にあるのだと思うが、これらの言葉によって私は本当にできない人間(の思考)になってしまった。

私はできないんだな、馬鹿なんだなって、騙されやすい単純な(言い換えればめちゃくちゃ純粋で素直な)私の脳は、それを信じ込んでしまった。

いや、馬鹿にも程がある。それなら、はーまじ私天才だわ、アインシュタインも一目置くくらいの天才だ、とでも言っておくべきだった。そうしたら、今ここにいる私はアインシュタインに次ぐ天才になっていたはずだったのに。

でも、当たり前だけれど、それで天才になれたらこの世は天才のインフレでまさに天災となる。

マイナスな言葉は、そんな単純なものではない。

自分ができないことへの保険となる。

「私できないので…」と言っておけば、失敗したとて「こいつはできないからしょうがないね」と見逃してもらえる。

もし成功したら成功したで、「なかなかやるやんけ」という漫画にありがちなギャップで1,2人が私に堕ちる。

ここだけ見れば、めっちゃいいことのように見える。ノーリスクハイリターンやんけ、と思われる。

でも、実際は違う。

できる、できない、の観点でしか物を捉えていないので、物事の本質を見ることができない。

つまり、「なぜ失敗したか?」「なぜ成功したか?」を分析することができない。

とすると、どうなるだろうか。

同じ失敗を繰り返すし、成功する保証は一生得られない。

なんで失敗したんだっけか?あー、私ができないからだわ。

あれ!?あの人なんで成功したんだろ?天才だからだ!

そんなわけがない。9割方は、なんらかの理由があってその結論に行きついている。

理由がわからずして、本質など理解できるわけもなく、結果は運任せということとなる。

もし、もう少し考えて理由を突き止めれば今後に活かせたかもしれないのに。

あの時私よりできていた人間と、今頃は同じくらいにもしくは抜かしていたかもしれないのに。

できる人間を見て、すごいなあで終わっていた。

小学生でもできるわそんなの。「あの人はできてすごいと思いました。」まさに小並感。

才能なんだろうなあ。じゃねえのよ。才能ある人間なんてそういてたまるかよ。エジソンぽく言うなら、1%の才能と99%の努力だよ。出来る人は99%の努力があって今そこに立ってるんだよ。

その努力を才能で片付けるな。いいか、私よ(戒め)。

つまりは努力すれば、私だってそこに立てる可能性があるのだ。だから、出来る人を妬むな。食っていけ。食い尽くせ。

私できない人間だから、なんて類の言葉は、私の思考を奪い、成功へのチャンスを奪ってきたとんでもねえ泥棒なのだ。ルパン三世なんて目じゃない。

今できなくても、今度できればそれでいい。

失敗なんて恐れていたら、いつまで経っても私はこの恐怖から抜け出せない。

ただできないのじゃない、何か理由があるからできないの。

うまくいったのだって、私なりに考えて行動したからうまくいったのだ。

それらを一つ一つ分析して、蓄積して、数年後のわたしは今よりもっと輝いていこうや。

ということで、理由のないマイナスな言葉は本日から禁止ということで。

せめて、「○○だったから嫌だ〜」とか中学生レベルにしてから口にしろ。いいか。

まだ24歳、人生はこれからも続く。あちこちにある成功のヒントを、1つでも多く食い尽くせ、そうして身体ではなく心を肥やしていけ。心をだぞ。

そうして、私を馬鹿にする人間を1人ずつ精神的にぶん殴っていけ。精神的にだぞ。