なんの足しにもならない

140文字じゃ収まりきらない

出産は間違いなく命懸け〜出産体験記⑤(最終回)〜

こんにちは、峠野です。

 

最近なぜか執筆意欲だけは無駄にあるが、限りある時間の中でどうせやるならゲームをしたい、と言う欲望に負ける己の愚かさのせいで何もできておりません。

つまり私は何も成していない人間です。元ジャンプ作家志望者と同じです。立派な肩書きがあるように見せかける詐欺師です。明日捕まるかもしれない。

 

いよいよ出産レポ最終回です。ようやく退院します。今ですか?子は1歳半になりましたよ。毎日走り回っておりますが、何か。

1年半育児と仕事(とゲームと漫画とネットサーフィン)に勤しんでいた結果です。

もうね、当時のメモ見ても流石に覚えてないことの方が多いです。

が、メモの誤字を直す程度に推敲して、さっさとケリをつけますヨ!

 

 

術後6日目

 

夫と2人で迎えた朝は昨日とは比べ物にならないくらい気持ちが良かった。3時間おきに授乳があるので正直そこまで寝られてはいなかったが、それでも昨日よりもとても体がスッキリしていた。

夫の分の朝ごはんはないので、病院の売店(ローソン)に購入しに行き、何を購入したのかを当てるゲームをしたら悪魔のおにぎりと大きなおにぎりというラインナップをそれなりに当てるという楽しい遊びをした。(そんなことしたっけか)

 


体重が思いの外減ってなくてめちゃくちゃショックだった。妊娠前から15kgほど増加し、2229g,2289gの双子と胎盤などなどが抜けたと言うのに、3kgしか減ってなかった。どうして…………別に入院中おやつめっちゃ食べてるとかないのに…………むしろ血が抜けて貧血なくらいなのに…………

お腹の中に何がいるんだ?3人目とかいるんじゃないの?産後全然太りませんでした!みたいな人は何を言ってるんだ?見栄を張るな?痩せ我慢をするな?デブ自慢するぞ?

産後1年半経った今でも体重戻ってないよ?ちょっと前に母親に「やっぱ太ったよね」と言われて、めちゃくちゃ凹みながらペロリとアイス食べました。今太ったとかなんか言ったか?何も聞こえんな…


退院のための診察として、またもや内診台に座る。エコーは正直慣れているので全く問題ないのだが、それ以外のものを入れられるのはいかんせん弱く、思わず「いたたたたたた」と声をあげてしまった。すぐ済んだので良かったが。

結果として無事退院決定。ただ肝機能の数値が上がっている?とかで、2週間検診の際に血液検査を入れられた。

 


昼ごはん後、沐浴指導を受けた。本当は私のような産婦が受けるものだが、(体調の関係で)特例で夫が受けているのを私が眺める、という形式を許可された。長女が気持ち良さそうに入ったり泣き始めたりと可愛く、またそれを入れている夫のことも愛おしく感じた。

その帰りに双子と夫で病院が用意している小さな可愛らしいフォトスポットにて撮影。初めてまともに4人で写真を撮れたかな?これからいっぱい撮っていきたいね。(死ぬほど撮っているので、スマホの容量が常に終わっている)

 


夫は午後から持ち込んだノーパソで仕事をしていた。よくできるなと思う。私は絶対に無理。多分できても寿司打くらい。あとはエディタに仕事への鬱憤と出産の辛さをぶつけることくらいかな。

そしてそんな中でもちゃんと子供の対応もしてくれる。仕事をするには向いて無さすぎる環境にも関わらずそれなりに進捗があったようで尊敬度が爆上がりした。

 


夫がいる間にシャワーを浴びた。シャワーを浴びる時、右手の点滴のルートを濡らさないよう看護師さんがカバーをしてくれるのだが、十人十色のやり方があって面白かった。そして濡れ具合もそれぞれで面白かった。意味ないくらいにずぶ濡れになった措置もあった。

1番濡れないのはサランラップと防水性能がありそうな医療用のテープ(何かは知らない)の組み合わせ。本当に全く濡れてなかった。これで統一したらどうだろうか。

 


その後夫は一度帰宅し、色々持ち込んだ荷物を持って帰るため、および私と双子の退院着を持ってくるために再度来院。まとめておいた荷物をたくし、退院着を託され、家の最終準備に向かうべく夫は病院をあとにした。


そして最後の病院生活。母子同室は2人を一旦いっぺんに行うことにした。とはいえ深夜は無理かもだけど。と思ったら看護師さんがもう一方にミルクをあげてくれるので、あまり同室してる意味ないのでは?と思ったがお言葉に甘えることにした。

夫が使った簡易ベッドが残っていると、寂しさが増してしまうので片付けてもらった。

 


母乳を飲む量が少しだけど増えた。胸の張りも昨日をピークにして落ち着いた。昨日ゆるふわ厳しい看護師さんにしごかれたおかげか。今日搾乳してくれた看護師さんが「痛いかも…」としごいてきたが、全く痛くなかった。全然我慢できる痛さだった。強くなったよ、ゆるふわ厳しい看護師さん…………

あと、右脇に副乳ができた。まじでこれはもう牛。人の親になったと思ったら牛になっていた。

 


足のむくみが本当にえぐい。むくみに鈍い私がやばいと思うレベル。出産直前のむくみが可愛く思えてくるレベル。象の足を飛び越えてもうバケモン。ふくらはぎも足の甲も踵もつま先も全てパンッパン。てか全身パンパンなんだけど。え、やっぱりもう数人くらい身体の中に置いてきてないか…

そのうちバツーンッ!!!!と弾けて「こんにちは、人類の皆さん。この体を乗っ取りました」とか言って侵略するんじゃないか??まあ残念ながら帝王切開直後の体なので本当に運が悪いと思いますよ。挨拶の途中で「イテテ…え?あれ?これ腹切れてない?」とびっくりすることでしょう。


最後の同室もそこまで問題なく終わった。合間に眠れたし、何より双子が全然泣かないのに助かった。

本当になんであんなに泣かなかったんだ?退院した途端ギャン泣き祭りだったけどな?

 

 

術後7日目(退院日)

 

いよいよ退院。最後の鉄分の点滴や双子たちの小児科検診を終え、無事全員で退院。双子はなんとか体重が増えてた。ずっと体重を心配されていたが、飲まないもんは飲まないし、早産なんだからしょうがないでしょうが、と思っていたけど流石に口には出さなかった。

態度には出てたかもしれんが。

 


夫が、授乳クッションなど大量の大きい荷物を駐車場と何往復もして運び込んでくれる間に、病院での最後の授乳オムツタイムを済ませる。そして着替えて準備を進める間に夫に会計手続きを頼んだ。

ちなみに入院した時は腹がぱつぱつだった服は、胸がぱつぱつになっていた。本当にこの時の胸の張りは半端なく、サイズも2-3カップは上がってたのでは?と思う。綺麗にサイズアップというより、すごい違和感。グラビアみたいな綺麗な胸ではなく、もはや異物だなと思った。

そんな胸は1年半経ってどういうわけか産前よりしぼみ、腹だけが残った。いらねーつってんだろ、返品する対象間違えてんじゃねえぞ、何年人間やってんだ!30年だよ!!?1人の人間がオギャーと生まれて30歳になるまでの期間だよ!!!(小泉構文うすあじ)

 

あと足のむくみがえぐい。なんか血栓防ぐ点滴を終えたあたり(確か退院2日前)から足のむくみが目立って来て若干痺れるレベルまできた。象みたいではなくもはや象そのもの。別に元々細い足でもないのに、膝から下が3回りくらい太くなってるし足の甲膨らんでるしで、よく漫画とかにある「なんらかのウイルスに感染し足が膨張する」みたいな状態だった。自分の足と信じたくなかったが、紛れもなく私の足だった。本当に絶望した。一生象の足なのだわと、本気で悲しかった。

 

牛か、象か、はたまた地球外生命体か。人が人を産むという過程には、理解不能だが一度人以外になる過程が含まれている。

この世に生まれた生物は、生物学的には「子孫繁栄」がゴールではないのか。綿毛がいとも容易く舞い上がり遠くまで種子を運ぶように、子孫を残すという行動は比較的簡単にできるべきではないのか?

冷静に考えると、いや、そこまで冷静にならずとも、人間のそれはバグがありすぎる。というかもはや要件定義から終わっている。先の見通しを立てろ。どうせ初心者が「んーこれでいけそうな気がする〜!!」で適当にできたのが人間の繁栄の仕組みだろ。いけるわけねえだろ、そんな解像度じゃ!!甘すぎる。もっと詳細に考えろ!!!例外処理もくまなく!!じゃないと先の工程で泣くことになるんだよ!!!!(戒め)

 

そしていざ退院。あんなに途中帰りたくてしょうがなかったのに、切なくてしょうがない。意味もなく病室の写真を撮る。あーエモいってこういうこと?知らんけどさぁ〜!!!!

双子には妊娠中に浮かれて買ったジェラピケのイーブイメタモンロンパースを着せた。小さめ新生児にはまだブカブカである。でも可愛くて可愛くてしょうがなくて、親バカをここで発揮する。我が子が1番可愛いのはきっとどの親も一緒なんだろうなあ。


病室を出て、ナースステーションの前で双子のネームタグを切る。その際、助産師さんたちに囲まれたのだが「かわいーーー!!」とまるでアイドルのように持て囃される双子たち。そうだろうそうだろう。私の子だもの可愛いだろう、と得意げになるというよりかは照れが勝った。嬉しさももちろんあったけれど。

双子の区別がつかなくなるのが不安で、足のネームタグだけ切って、本来は切ってもらう腕のネームタグは残してもらった。これは英断だった。


病棟をあとにして、車に向かう途中、病院関係者の知らねえおばさんが双子に触れて来た。私が1番恐れていたこと、それは知らねえ赤の他人に我が子が無断で触れられること。まさか退院日に早速体験させられることになるとは思っていなかった。「ハハハ」と苦笑いするしかない私。早急に人が寄ってこないような対策を練らなくては…

 

ちなみに今でも外に出るとたくさんの人に声をかけられる。声をかけなくてもかわいい〜!の声がいっぱい聞こえて、親としては我が子がたくさんの人に愛されてとてもありがたい話である。

 

 

以上、私の怒涛出産レポでした。

出産を控える者たちへ。ここまで怖いことにはならないかもしれないし、私以上の経験をすることになるかもしれない。ただ、覚悟を決めるだけでもだいぶ違うと思うので、あまり油断しすぎずかと言って思い詰めすぎずに毎日を過ごしてほしいと思う。

出産を控える者のパートナーへ。お前は所詮、出産においてはなんのリスクもない人間ということは念頭に置いてくれ。

育児中の者たちへ。戦友よ。愛してるぜ。

 

何事も当たり前だと思うことなかれ

こんばんは、峠野です。

 

終わりました。

私の青春が本当の本当に終焉を迎えてしまいました。

嵐の活動「終了」。

以前は嵐の活動「休止」でした。その時の気持ちを綴っています。人は青春時代の終焉を目の当たりにした時、一人ぼっちで空を覗く - なんの足しにもならない

 

休止と終了。似ているようで全然違います。

もう復活しないんです。本当にお別れなのです。

どうかこの行き場のない溢れんばかりの気持ちを、ここに吐き出させてください。許しを得ずともやります、これが私の生き方なので。

 

 

 

嵐の活動休止発表から終了発表までの間に、私は結婚、そして出産を経て、二児の母となった。

活動終了発表まで嵐のことを正直言えば考える暇なんてほとんどなかった。だからと言って他に別の推しができたとかでもなく。毎日生きるのに必死だっただけ。

だから、嵐のファンクラブ更新はしなかった。(更新を普通に忘れていた)

大野智はもう帰ってこないだろうな、と思ってたというのもある。もう嵐として、芸能人の大野智として人前に立つことはしないだろう、となんとなく予想していた──見事に外れたわけだが──のもあって、諦めの気持ちで更新するのをやめた。

 

そんな感じで過ごしていたから、嵐が活動終了を発表した時はそこまでショックではなかった。というか実感してなかったのかな、と今は思う。

嵐のラストライブツアーは参戦できなかった。少し後悔もあるが、自業自得なのでよい。

 

ただ、昔の思い出がやはり私を苦しめるのだ。

嵐のライブが楽しい!歌がいい!ドラマが面白い!とかそういう次元じゃない。私にとって嵐は、あの時間違いなく人生だった。

すべての行動そしてその動機が嵐だった。

何を食べるにも、何を着るにも、何を持つにも。とにかく何でもかんでも嵐と結びつけていた。

嵐がCMやってたから、番組で紹介してたから、嵐の名前が入ってるから、メンバーカラーだから、曲の歌詞やタイトルが入ってるから…思い出すとキリがない。とにかくものすごく痛い嵐オタだったと思う。

 

吹奏楽部の夜練で、LISMOで嵐の曲流してたり。

嵐の待受(だけじゃないけど)を赤外線通信で交換したり。

ダンスの授業の振り付けを決めるために必死にCrazy Moonとtruthのダンスを自主練してたり(結局ダンスが下手すぎてろくに踊れなかった)。

ドラマだけじゃなく、ニュースに出る一瞬すら見逃したくなくて学校行く前に全ワイドショーをチェックしたり。

通ってた塾の先生が嵐が好きで、「揺らせ今を」をよく入室時に流してたから、他の嵐の曲リクエストしたりとか。

ニノのJCBのカエルをバッグにつけて入学式に挑んだらそれきっかけで今でも仲良くしているかけがえのない友人ができたり。

朝遅刻しかけたからスマホをロッカーにしまい忘れて、テスト中にLove Situationを教室中に鳴り響かせて先生に後からメチャ叱られたり。

VS嵐を参考にして半分泣きながら文化祭のクラスの出し物を作ったり。

そういう日常的エピソードがたくさん走馬灯のように蘇る(死ぬな)。

 

もちろん嵐のライブ関連のエピソードもてんこ盛り。

グッズ購入のために長蛇の列を母親引き連れて並んだこととか、初参戦のライブで目の前の松潤がキレたこと、トンチキ衣装を着てライブ参戦したこと、天井席・アリーナなどあらゆる視点からの参戦、ワクワク学校も制服着て京セラで参加したこと、友人に誘ってもらいハワイの凱旋公演のために宮城に行って友人の実家にお世話になったこと、各ドーム限定のグッズを(当時SNSなどやってなかったので)掲示板でヒヤヒヤしながら交換依頼出したこと(無事交換成立した)…

 

ああ、本当にここに書き出したのは一部で、たくさん、たくさんあったんだ。本当に、かけがえのない思い出が。同じような嵐オタの友達はもちろん、嵐オタでない友達との思い出も、それはそれは数えきれないほどの思い出が…

 

そんな感じで私の人生に彩りを与えてくれた(彩りどころではないかもしれないが)嵐。

活動終了。もう会えないんだって。

つまりあの頃のような体験はもうできないんだって。

それを実感した時、あることに気づいた。

嵐が好きなのはもちろんだが、私が大切なのはそれ以上に「あの頃の思い出」だったのだと。

キラキラと輝いていて、もう触れられはしないけど、確かに心の中にあるこれが、どうしようもなく愛おしくて絶対に忘れたくないほど重要なものなのだと。

 

そしてこれに気づいたのが、嵐のラストライブの挨拶の時だった。

メンバーそれぞれが最後の、、、本当に最後の挨拶をしていたとき。一言一言噛み締めながら、自分の記憶の旅をしていたら、たくさんの宝物がどんどん当時の輝きを保ったまま私の頭の中に蘇ってきてくれた。

私の人生、こんなに楽しかったんだなって。

動機は確かに嵐という、オタクにありがちなものだったかもしれない。

けれど、実行したのは嵐ではなく私なわけで。たくさんの人と、たくさんの交流ができた。

それを証明してくれた。十数年越しに。

私は自分の人生にあまり自信がなかった。でも、この眩い光を見ていたら、最高としか言いようがない。

そうおもったら、涙が止まらなくなった。

 

大袈裟だけれど、間違いなく私の人生だった。

今は子供を育てるのに必死だけれど、いつか子供らが大きくなって、何が好きなアイドルとか、アーティストとかなんでもいいから対象ができたら、今度は付き添う側として、見守りたいなと思う。そして、こんな素敵なアイドルがいたのだと、一緒に話せたら嬉しいな。

 

本当にありがとう。そしてお疲れ様でした。

嵐は間違いなくこれまでもこれからもNo. 1のアイドルです。

 

 

仕事のできない人間は大体同じことをやらかす

こんばんは、峠野です。

 

あまりにも限界なので、現XくんのTLをヘドロで埋めてしまう前に(既に漏れ出しているが)、筆を取ろうと思う。

 

およそ2年前、職場で仲良くしている先輩と飲んでいたとき、何気なく言われたことを(嬉しさもあって)覚えている。

「峠野さん、本当に一緒に仕事しやすくてよかったわ〜、まじで期待以上だった」

 

これは別に、「アタイ仕事できるんすよ」ということを自慢したいわけではない。現に自分の仕事能力は大してないと思っている。まあ、中の上くらいあったらいいね、みたいなそんな感じ。

 

その先輩とやってた時の仕事は「言われたことをただやっていただけ」という自覚があって、それ以上でも以下でもない。

「いわゆる仕事ができる人」の振る舞いはしてないと思う。痒いところに手が届くようなこととか、超絶迅速なタスクの完遂とか、効率が爆速化するツールの制作とか。そんなことは一切してなくて、「AをBにして」と言われたから、AをBにしただけだ。こんなことはSE(ましてある程度の期間働いている)ならできて然るべきことだと思っていたので、査定の時も「当たり前のことしかしてないからプラス評価書き辛ェ〜ッ」と必死に頭を捻らせた。

 

ただ、驚くべきことにこの当たり前ができない人間(自認が人間なだけの怪物)がいることに最近気がついた。いや、正しくは概念としてそいつらの存在を認知していたが、はっきりと存在を認識するようになった。

今の案件で私の下についている3体のバケモノが、それだった。奴らはヤバい。1体ならまだしも3体もいるともう収拾がつかない。もはや育児。育児の方が子供は可愛いからまだ救われる。なのにこいつらはかわいくもねえいい歳した男。

何が私をこうも疲弊させるか?頼むから吐き出させて欲しい。

 

①日本語がわからない

奴らは一応日本人なんです。いや、通名使って〜とかだったら知らないけど、とりあえず日本人なんです。それなのに、日本語通じない。本当に怖いくらいに通じない。書いてあることが読めない、言っていることが理解できない。ていうか理解してないことすら分かってない。国籍や母国語が何かはこの際関係ない。言葉が理解できていない。

そんなの、学生時代で克服するものじゃないの?せめて新人時代に揉まれて改善するでしょ?してないんです。怖すぎます。それが同じ人間だと言うことが怖すぎます。だからバケモノという認識なんよ。

 

具体的に言うと、「次のタスクはこれですよ」と伝えているのに、今のタスクが終わりそうになったら「次のタスクください」と言ってくる。お前何?直接通話で話したし、チャットツールにもご丁寧に書いてあげたわけ。なのにお前は私がお前のために費やした時間を無視して、ろくに読まずにろくに聞いて覚えずに質問してくる。バカとしか言いようがない。バカに改名しろ。

 

②社会人としての基礎がゴミ

まじでやばい。客先になんか出せない。もうすぐ年次的には昇進なんだって。できるわけねえだろ。私が全力で阻止する。(※残念ながらそんな権限はない)

 

遅刻上等。この案件今年の春始まったけど、半年経たんうちに3,4回寝坊してる。もうその時点で舐めてるでしょ。法律と私の理性がなかったら殴ってるぞ。

挨拶もろくにできない。今やテレワークなんで、顔を合わせておはよう、お疲れ様は幻のような存在になってきたとはいえ、お礼や謝罪がろくにできない。他の人が自分のミスをカバーしてくれたのにお礼もなくチャットでのスタンプリアクションのみ。

間違いを指摘してるのにスタンプリアクションのみ。ようやく謝っても「あ、ごめんなさい」。

お前は鼻水垂らした右も左もわからねえガキか?いい加減にせえよ。お前とそんなリアクションで済むような関係は築けてねえから。

他の信頼できる人とお前らは雲泥の差なの。しかも信頼できる人たちも、自分が間違ってたり助けてもらったときはお礼や謝罪なんて当然やってるの。

なんでそんなことこんな歳になって注意しなきゃいけねえの?ママにしてもらえよ。ここは保育園でも小学校でもねえんだよ。

 

③改善ができない

何度も何度も注意したり要求したことがまじでできない。「通話したいなら(こっちも時間の都合あるから)何についてしたいか概要書いて」と言っているのにまっっっっったく書いてくれない。「タスクについて伺いたいです」ってなんなんだよ。せめて「タスクの〇〇部分について」とかまとめようあるだろ。広すぎてなんもわかんねえから意味ねえって。理由を添えてお願いしても全く通じてない。本当に何を思って日頃生きてんの?

質問の仕方も要領を得なくて何を言ってるかわかんないから、何度も「ログをはれ、何を聞きたいかまとめろ」つってんのに、全然的外れの回答が来る。要はこっちが「これはこう?」「これは?」と懇切丁寧に全て掘り下げなきゃいけないような状態で質問が飛んでくる。それをやっていいのは、新人までだよ。

私が半ギレで「だからログと一緒に何聞きたいのか言えつってんだろうが(を丁寧な言葉で)」と伝えたら、他の人たちから私向けに助け舟が来て「人の時間奪ってる自覚あるか?」「ログを添えろ」と怒られているくらい。ざまあみろボケ。

 

④法則性を理解できない、というか無頓着にもほどがある

SEならメチャ必要だと思うんですけどね。ないんだな、コレが。

ルールに沿って書いてあるものを全部無視する。そっくり真似できそうなものを渡して「これ参考に書けよ」つってんのに、「新しくルール作ってこう書きました」と自信満々に言ってきたときは眩暈がした。

アルファベット順に並んでるのもわからない、勝手にいらないと思って削除する、、、もういいです何もしないでください!!他のことを…と言ってもこんなこともできないなら何ができるんですか!?!?私の目の前から消えることくらいしか無理なのでは!?!?

 

⑤能力もなければ向上心もないから何にもない

能力ないのはいいんですよ、この際。だって私も別にあるわけじゃないし。

でもその分他でカバーするやん。普通。たとえば愛嬌や謙虚さみたいな態度。ミスなどを改善している前向きな姿勢。問題解決力。応用力。コミュニケーション能力。他にもたくさんあるわけで。

誰しもがエンジニアとしての力が最強なわけではない、だからこそ人間はそれぞれの強みで戦うわけでしょ。

なのに、お前はそう言うの一切ないよな。ほんと引くくらいに。ミスしてもまずろくに謝れない時点でお察しなんだけどさ。

せっかくいろんな人がお前を気にかけて改善させよう(じゃないと自分が働きづらいし)としているのに、全く響かない。同じミスをするし、改善も見られない。そして頓珍漢な質問をしてくるし、なんでそうしたの?みたいなことを平気でしてくる。しかも何度も。

そんなやつ、誰が一緒に働きたい、育てたいと思うんだよ。上司ガチャとか言うけど普通に部下ガチャもあるよ。お前は大外れ。本当に勘弁して欲しいくらいに。

報告の仕方だけは(私がムカつきすぎて限界に達したので)バカみたいに指導したので少し改善した。なぜここまでしないと改善しないんだ。

 

とはいえド低脳にも限度はあるわけで、どいつもこいつも一人分としてカウントできないから普通にリソースがいっぱいいっぱい。本当になんでこんなにきついのかって、こいつらが自分のタスクもまともにできないのに、完成した成果物に穴がありまくり、結局こっちで修正しないといけない箇所があるわけ。

本当になんのためにこの案件にいますか?いりませんよね?私ともう1人だけでやってた方が上手く回ったんじゃなかろうか?

 

⑥言い訳だけは一人前、責任からの逃避にだけは敏感

無能はせめて謙虚であって欲しい。それなのに、自己保身だけはしっかりとしている。めちゃくちゃガチガチに保険に入っている。本当にすげえよ、その生き方。

100%お前のミスなのにまず謝らない。謝っても遅いし言葉遣いもままならない。(謝罪に対して私がうるさすぎるのかもしれん)

そんでなんなら「そっちの落ち度ですよ」みたいな一言添えるときある。まじで舐めてんじゃねえぞ。私の落ち度であってたまるかよ、お前の尻拭いどんだけやってると思ってんだ?何度も言うが、お前はクソガキか?

質問が飛んできてたので回答したのになんのレスポンスもなし。他にやれそうなこともあるとは言え質問されてたタスクの方がどう考えても優先度高いのに状況全くわからず。

「なんのレスも報告もないけど何してんの?」と聞いたら、「先に指示されていたので別のタスクをやってました」だとさ。

はえー、私が先に指示したから悪かったんだ?私が上司なのがダメなんだ?私なんていなけりゃよかったんだ?オメー女上司ヒス構文やらすなたわけが!!ぶん殴るぞ!!暴力で全てを解決してやろうか!!!!!!

他にも言い訳レパートリーは、デパ地下に並ぶスイーツくらいに豊富。そして変に凝っている。バカタレが、どこを磨いとんねん、列挙した問題点がたくさんあるだろうがよォーーーーッ!!!!このド低脳がーッ!!!!!クサレ脳味噌がァーーーーーーーッ!!!!!!!

 

⑦総じて、人間じゃない

ま、コレに尽きるんですわ。まじで人間じゃない。

人間じゃないからこちら人間サイドの気持ちが理解できず、平気で非常識をぶちかます。人の気持ちが理解できるなら、そんな舐めた態度取らずに真摯に仕事や人と向き合いますもん。

言われるうちが花って本当言葉通りで、もうこいつらに注意をするのはやめる。もう疲れた。

こいつらが書いたソースコードまじで吐き気がするくらいゴミクズな部分いっぱいあるけど目を瞑る。

 

はあ、先輩が言っていた気持ちがよくわかった。「AをBにする」ができない輩はそれなりにいるんですね。まして、思考が必要なタスクが本気でできない輩も。

今度会ったらちょっと愚痴りに行こうかな!!!!!!!!

 

 

 

出産は間違いなく命懸け〜出産体験記④〜

こんばんは、峠野です。

 

出産レポなんてすぐ書いちゃお!!!!と思っていたのにら毎日怒涛だしなんだしで気がつけば生後7ヶ月になりました。私が。

冗談はさておき、7ヶ月になった双子はおかげさまで健やかに育っています。嬉しいことやね。

 

ありがたいことに、やたらと色んなところで「ブログ読んだよ!」「続き読みたい!」と言っていただけており、超絶自己満で書いているこれが…!?と驚きを禁じ得ないです。いや、本当にありがたいし嬉しいですね。

というわけで、リクエストにお応えして(?)出産レポの続きを書きたいと思います。4日目、5日目です。

 

術後4日目


深夜の6時間睡眠と多分輸血のおかげ?でふわふわ感はほぼなくなった。とはいえ3時から起きっぱなしなんだけれども。

搾乳してくれた看護師が「胸張ってきてますね!」と言ってくれたおかげで、胸の張りが出てきたことに気づく。まあそりゃ!?双子を健康に!?産んだわけですし!?!?エッヘン!!!!!!!(胸張り違い)

てか乳首だけじゃなく胸全体が痛い。搾乳頑張った成果出てるかも。努力報われたかも。

そういえば、双子見分けに使おうと思ってた足のタグは退院時切られるらしい。そんな。見分けどうしたらいいんだよ、ということでミサンガをネットで頼むことにしたが退院までに間に合うのか!?!?


輸血の結果、貧血の値は良くなったらしい。数値でいくつまで回復したと言われても基準値がわからないから「はぁ」としか言いようがない。いや、普通はいくつなんだよ!!!!!!素人がわかるかよ!!!!!

私の腹の経過観察をする時先生が5,6人来たのはちょっと笑った。多すぎんだろ…

 

そして念願のシャワー解禁。本当は昨日から入れるスケジュールだったけど、私が貧血で死んだことにより一日後ろ倒し。本当に生き返った気分だった。気持ち良すぎる!とはいえ腹の傷は痛い、胸は張って痛いという感じで一つ一つの所作が遅く、洗うのも一苦労だった。

ヒィヒィ言いながらシャワーを浴びた。でも人権を取り戻している。人間に近づいている。

ふと鏡と自分の体を見て、名探偵が言う。

あれれ〜おかしいぞ〜??もうここには何もいないのに、お腹がまだまだぽっこりしているぞ〜!?!?おいコラクソガキ!!!勝手に触るなといつも言ってるだろう!!!!おっちゃんと私がご立腹ぞ!!!!

ちなみにこれを書いている今も健在。はっはーん、わかりましたよ、犯人は夢と希望だ!!!!(名推理)

 

今日は母子同室の再挑戦ということで、シャワーと昼ごはんの後、長女と同室が開始。同室できない時も、また双子が母乳を飲んでくれない間も搾乳をちまちましていたとはいえ、直接飲みの練習が必要なようで直接飲みの練習もはじまった。

胸が張ってバカ痛い。何もしてなくても痛い。飲んでくれ。私の乳首が短くて上手く吸えていないらしい。ごめんなぁ…そればっかりは、ごめんなぁ…

シールドというシリコンの乳首延長装備をつけるといけるかも?ということで試し始めているが、まだなんとも言えない。がんばれ双子!がんばれ!


お腹いっぱいになって大人しく寝てたと思ったのに、急に今まで聞いたことのないくらいの泣き声で泣き始めて、抱いても何しても泣き止まずあららー、と思っていると、看護師さんが様子を見に来てくれた。

そのまま布団(バスタオル)で包んでくれると、あら不思議全く泣かなくなった。おにぎりのように包まれる子。

やはりまだ自分が下界に降り立ったことに気づいてないのだろうか。ここが私の腹の中だと思ってないか。残念、ここは汚ねえ世界だよ赤ん坊…………

 


義母がお見舞いに来てくれたので、次女も部屋に連れてきてもらう。次女のミルクをあげてもらっている間、私は直接飲みの練習。なかなか上手くいかない。頑張ろうな双子。私のこの張りに張りまくった胸からどうか母乳をいっぱい飲んでおくれ。

義母がさつまいも系のお菓子をたくさん差し入れてくれて泣いた。さつまいもは世界と私を救うからね…退院後の深夜授乳のお供やね…………

 


義母が帰り夜ご飯。ナポリタンが出たけど米の方がありがたい。なんか妊娠してからパスタの好き度合いがガクンと下がった…しばらくしたら戻るかな…(結構時間がかかって、産後半年くらいでようやく戻ってきた)

そして夫がお見舞いに来て、妹のオムツ交換やミルクあげをしてくれている間、姉に母乳をあげようとするも上手くいかない。

胸張ってるし出てきてはいるから頑張って飲んでほしいな!!!!君たちが飲まなきゃ誰が飲む!!!!ソーレイッキ!イッキ!イッキ!

当然赤ちゃんには通じないわけで、悲しくも断念。めちゃくちゃ張ってるので手で搾乳してもらった。泣いた。まだコールは早かったか…

 

病院側が昨日の貧血・双子という状況を鑑みて夫を宿泊させて一緒に子育て経験するというかなり特例なプランを提案してくれた。ありがたいかな。とりあえず夜の母子同室がはじめてなので経験してみて、判断したい。

お分かりの通り、ここで私が1番ネックなのは母乳です。

 

 

術後5日目

 

マタニティブルーが来たかもしれない。

漠然とした不安でキッツイ。涙流しながら飯食うとる。でも目の前の赤ちゃん可愛すぎて本当に何事もなく元気で生きてほしい、以外の感想がない。寝る時も何故か変な想像ばかりしてしんどくなって寝れなくなる。寝ないといけないと思うと寝れなくなる。

おまけに全身が痛みだのその痛みを避けるためのクッションになっていることにより満身創痍。肩も凝りすぎており今までの肩こりとはなんだったのか?お子ちゃまのごっこ遊びだったのか?と常識を覆されるくらいバキバキ。

母子同室は無事終えたが、体の疲弊と共にメンタルがやられている。

 


夜ちゃんと寝れてないから朝はめちゃくちゃ眠い。本当に眠い。というか体がだるくてしょうがない。急な気温の変化のせいか、鼻水まで出て色々体調不良だった。

今のままだと母乳で育てるなんて到底無理だろうから(出てるし痛いしせっかくなら母乳を使って欲しいというのは親のエゴか)、痛い思いして搾乳してもらわないといけない。ここがいちばんのメンタル崩壊部分の原因だったかもしれない。

ちなみに、この時の寝不足などまだまだ序の口で、7ヶ月経った今も慢性寝不足。もう体も短い睡眠時間に慣れつつある。適応力たるや…

それに、母乳へのこだわりというのは、やはり母乳をあげたい人間にしかわからないもので、他のこだわり(例えば、どんなオムツを使うかとか、子の睡眠スタイルとか)なんて目じゃないほど、異質なものだった。

私は育児に関してこだわり弱めだと思ってたけど、母乳にだけは異様に執拗にこだわった。なぜなのか?私にもわからないけど、なぜか漠然と「諦めたくない」と思っていた。


昼過ぎから母と祖母が見舞いに来て娘らを可愛がってくれた。母は抱き方がめちゃくちゃ上手くて、約30年前なのに染みつくものなのだなあと感慨深くなった。

今後のサポートどうするのか、という話もとりあえずまとめた。まずは夫と2人でやっていきたいのだ。どんなに辛い、大変と言われてもやってみないとわからんことしかない。ならば自分たちでやってみて、試行錯誤するのが醍醐味と違うのか。たとえ後から大変と自覚したとしてもそれは実体験での大変なので、最初から先入観で大変としているのとは違うのだ。

 

母曰く、双子には私の幼少期の片鱗があるという。髪の毛がふさふさ、髪の毛が茶髪(もはや金色もある)などなど。さてどんな子に育つだろうか。

母も私を帝王切開で産んでいるので、帝王切開の話をしたりとか。他愛のない話をしたりとか。

いい息抜きになった。舟和の芋羊羹を新横浜で買ってきたらしく美味しく食べた。この日初めてデイルームにも歩いて行ってみたが、自販機のラインナップがしょぼかった。まだ腹は痛いので、ペンギンのような歩き方だった。


途中、栄養のお話などを聞くために授乳室にいくと1日違いで普通分娩をしたお母さんも同席しており、少しだけ話ができた。2人目の男の子の出産。先輩だった。2人目でも痛いものは痛いよなあと、帝王切開痛いですよね、会陰切開痛いですよね、とお互いに労い、解散する際にはお互いお疲れ様でしたと言う戦友のようなやりとりをした。

 

母達は日帰りということで18時頃帰って行った。

少し入れちがう形で、夫が泊まりのために20時頃やってきた。

夜に1人じゃない、というのは大きかった。

昨日あんなに寂しくて変なことばかり考えてナーバスになっていた夜が、全然怖くなかった。

ずっとシューベルトの魔王の日本語ver.が頭の中で昨日は流れていた。魔王が双子を連れ去ろうとしており、双子は私に助けを求めていた。

だが、今日は何も流れていない。魔王は去った。というか私が魔王だ。散れ!!雑魚が!!!!!!!!!

あんなに眠れなかったのに、知らぬ間に寝ている自分にびっくりした。こうも変わるものか。体の痛みも減っている気がする。昨日のメンブレは嘘のように消えていた。

夫と双子と初めて一夜を共に過ごし、「これワンオペは無理ゲーだな」と心から思った。退院したら、夫と色々試行錯誤して効率化や改善を図ろうと、2人のこれからのやり方を再度確認した。


母乳を少しずつ飲んでくれるようになったのも、メンタルが安定した大きな原因。ゆるふわっと喋るが言ってることややってることはめちゃくちゃ厳しい看護師さんに「胸の張りを抑えるためにも」と胸をしごかれ、悶絶するくらいの痛みを味わった。「痛いですよねー、ごめんなさいね」と言いながらもめちゃくちゃ痛いところを的確な角度で攻めてくるから声にならない叫びをあげるしかなかった。谷川俊太郎である。


幸い双子は今のところ夜泣きなどなく、授乳時間間際になるとオムツか空腹で泣き始めるパターンが多い。そのおかげで授乳と授乳の間の睡眠は(手こずらない限り)ある程度確約される。

双子のうちどちらかがほんのり泣き始めると夫と2人で目を覚まし、ガチ泣きに入ると笑いあって「始まりました」と言わんばかりに動き出すのが、とても心地が良かった。

馬鹿野郎ーーーッ!!!!!夜泣きありまくりだよ!!!!!!7ヶ月経っても新生児ばりに3時間毎に起きるとかZARAだよ!!この頃の3時間タイマーのことは忘れていいんだよ!!!!!眠れ!!!ZARAはやめて、GUつまりGussuri Unmin(グッスリ安眠)になろう!!!!


看護師にも色々なタイプがいた。基本みんな優しくて、丁寧な人ではあったけど、かなり親身になってくれる人、双子のお母さんをやってる人、コウノドリの小松さんみたいな人。

どの人もすごくいい人で、きつい時に欲しい言葉をかけてくれたり、相談に乗ってくれたり、赤ちゃんの扱いを優しくしてくれたり。本当にみんないい人だし頼りになる人ばかりだった。

ただ1人めちゃくちゃポンコツな人がいて、やること遅いわ忘れるわで、かなり不安になった。

流石に命が関わる場面に関わってほしくない人だなと強く思った。絵に描いたような、看護師向いてない人間だった。

血縁は思ったより、強い

こんにちは、峠野です。

 

出産レポも最後まで書いてないけど、帰りの新幹線でどうしてもどうしても、1人涙が止まらないので、吐き出させてください。

 

 

叔父が亡くなった。

ここ数年、闘病生活でずっと入院していた。

私が最後に見たのは、私の結婚式に参列していた姿。

奇しくも、私の結婚式を挙げてからピッタリ4年後に天国へと旅立った。

 

数日前母から、叔父が危篤状態だと聞いた。その時は、現実味がなかったのと、しばらく会っていないこともあって、なんとなく、とうとう時がきたか、という気持ち(語彙力がなく表現ができない)しかなかった。

 

そして、おとといの朝に息を引き取った、と連絡が来た。

私の結婚式後からはずっと病院で過ごしていた。

退院は、叶わなかった。

 

私の結婚式も、体調的に出席はかなり怪しかった。それでも、参列することを人生の目標にしてくれていたらしい。それを聞いた時は、本当に嬉しかった。それを叶えた叔父は、あっという間に入院。そのまま糸が切れたかのように、みるみる体調が悪くなっていってしまった。

 

叔父の面会に行っていた母親が、時折私に言った。

「もうね、あの頃の面影がないんだ…」

物心ついた頃から叔父は(痩せる・太るという体型変化を除き)ずっと同じ姿だったから、その言葉があまり理解できなかった。想像ができなかった。

 

でも、今日理解してしまった。

本当に、私の知っている叔父ではなかった。

人間とはここまで変わるのか、病気一つで、全てが狂ってしまうといっても過言ではない、とにかく言葉にできなかった。

その瞬間、楽しかった思い出が頭の中で、キュルキュルと音を立てるように、高速で再生されていった。

 

私の家族は、正直あまり自慢できるような家族じゃなくて。色々不完全で、問題があって。私がある程度まっすぐ育った(自分で言うな)のは奇跡だと思う、そんなレベル。

それでも、特に小さい頃は楽しい瞬間がそれなりにあった。大学進学契機で家を出る直前は嫌な思い出が多いけれど、全てが憎い、嫌い、というわけでもなく──だからここまで縁を切らずになんだかんだやってきてしまったのだが──大切にしたい瞬間は、少なくともあった。

それが、今の今まで忘れてたような小さなかけらのような思い出が、鮮明に再生されたのだ。

 

そして目の前にいる、最後まで病気と闘った叔父の姿。ああ、現実なんだ。なんだかんだ私を気にかけてくれた親戚が、1人遠くに行ってしまった。

子供にも会わせたかった。きっと、可愛がってくれたろうに。

 

いつもは滅多に泣かない母親が、泣いていた。

祖母も、現実を受け入れられないのか、譫言を言っていた。

葬儀場の外を走る車、自転車。彼らは当たり前だけど、なんの変わりもない一日で。

叔父は小さな壺に入るくらいになって。

遺影の叔父は、最後に見たのはいつだったか思い出せない、穏やかな笑みだった。

しょうもない会話をして、母と、叔父と、祖母と、たまに叔母と、馬鹿みたいに笑っていたあの頃の笑顔。

なんて、なんて悲しい夏なんだろう。こんなにうんざりするくらい暑いのに、悲しくて、悲しくて。

 

叔父は優しかった。心が純粋すぎた。少年のようだった。

天国では、もう少しくらい悪く生きていいと思う。自分勝手に。

 

そして自分の葬式はやっぱりカーニバル形式で、誰にも泣いてほしくないと、心から思った。別に葬式なくてもいいくらい。

楽しくお別れしたい。しんみりしないで。

しばらくは懸命に生きるつもりだけどね。

 

 

出産は間違いなく命懸け〜出産体験記③〜

こんにちは、峠野です。

最近は夜に寝ない双子の寝かしつけにも精神的に少しずつ慣れてきて、ドラマなど動画を見ながらやり過ごすことにしています。とはいえ眠すぎる時は無理です。

ドラマに出てくる生まれたての赤ちゃん設定の赤ちゃん、実際は生まれたてでもなんでもなく大抵クソデカベビーなんだと気づいた今日この頃。

 

さてさて術後のレポをブログにしていくぞ! 今回は「回復兆候が垣間見えた術後2日目」と、「それは幻だった術後3日目」の記録です。

 

術後2日目

授乳時、双子に直接母乳をあげても全然飲んでくれない(吸ってくれない)ので、分泌を促すためにも電動搾乳機を使うことに。

片方ずつではなく、両方に対していっぺんに使えるもの。乳を丸出しにし、搾乳機を当ててスイッチをオンにする。ウィンウィンと唸りながら私の乳は搾られる。コレを使っている時間は本当に虚無そのもの。牛になった気持ちになる。しかもまだ満足に母乳も出ないので、駄馬ならぬ駄牛。牛にもなれない。私はいったいなんなのか。なんか知らんが虚しくなってくる。

そんな虚無の時間を15分ほど過ごしても、取れる母乳なぞほぼ0に近い。あくまで刺激を与えるための時間。そう言い聞かせて私は毎度の搾乳時間を過ごす。

 

搾乳機で取れないため、看護師さんの指直々で母乳を取ってもらう。すると、割と1mlくらいならとれたりする(それが多いか少ないかはさておき、目盛に刻まれるほどの量がとれている、ということが大事なのだ)。

それを双子に与えると、渋い顔をされる。どうした、まずいのか!!!痛い思いして作ったママの母乳がまずいか!?でもわかる、見た目からしてミルクの方が美味そうじゃない?私も母乳とミルク並べられて好きな方選べ言われたら、最初の好奇心さえ無ければ普通にミルクを選ぶと思うもん。だって母乳って人間の血だぜ!?!?!?!?


この日(術後2日目)から母子同室が推奨される。とはいえ私の入院していた病院は母親の体調との相談が常にできるため、強制ではない。私の状況と言うと、傷が痛むしまだ歩くにも点滴台に捕まらないと不安だし、ということで双子の一方と日中だけの同室とし、授乳タイミングで同室する子を交代するという限定的な形の母子同室が始まった。

 

長女から先に同室で過ごす。と言っても半分以上の時間を睡眠、あとは泣くのに費やすという大まかに2パターンしかないので私がやれることはガチ泣きターンの時にベッドから立ち上がって様子を見に行くことくらいだった。そのガチ泣きターンも全然到来せず、泣くか!?泣かないか!?……どっちなんだいッ!!!…………泣ーーーかないッ!!!!と筋肉ならぬ贅肉ルーレットが開始されていた。

オムツを見るのは授乳する直前と言われていたので、それに従い特に気にしていなかった。ガチ泣きターンに入り抱き上げてみたりすると結構すぐ泣き止むのだが、一度泣き止まない時があった。その少し後授乳タイミングが来たのでオムツを見ると、がっつり便が出ていたので申し訳なくなった。「あそこまで泣く時はオムツを見よう」そう学んだ瞬間だった。


そういえば、前日に最悪なタイミング(藤原竜也が転げ回っていた時)で伝えられた、次女の黄疸の値は通常で特に問題なしとのこと。よかった〜


夫が夕方面会に来てからは1人ずつではなく、2人同時に同室にした。2人が同時にスヤスヤ眠るタイミングはそこまでなく、どちらかが何かしらの声をあげていることが多かった。夫と「こりゃあ家に帰ったら賑やかになるでぇ〜〜」と覚悟を決めた。

双子が泣く時の声が大きくなったなーとか、目をぱっちり開くようになってきたなーと感じる。たった数日でこんなに変わるのかと、それなのに私たち大人は「明日でええか!」と怠惰に過ごして数日を無駄にして…大人って何してんだろうね


あと、私がトイレに行きたい、と思うのがかなり限界に近しいタイミングになっているせいでめちゃくちゃ危ない。普通に過ごしてたら多分普通に漏らす。寝る前にトイレに行ったはずなのに、夢の中で追い詰められパッと目が覚めて思ったのは「膀胱が破裂する」。本当に起きて早々漏らすかと思った、なんならもう病院だし散々醜態晒してるしええか、と一瞬諦めそうになったくらい。いつもの健康状態なら、ベッドからササっと立ち上がりトイレに向かえばいい話だが、今は違う。腹の傷が動くたびに痛む、点滴やらなんやらのコードが腕についている、というかなりの制限がある中の動作をしなければならないのでめちゃくちゃハードモードなのである。

プライドが頑張ってくれたおかげで本当に必死に、半分泣きながらベッドを離れ、なんとかトイレに間に合った。本当にあと数秒で私は人間を辞めることになっていましたよ、ジョジョ

昨日歩行がなんとかできるようになったにもかかわらず、今日はそれなりに部屋の中を歩いて歯磨きだの洗顔だの人間の生活ができるようになるほど回復してきた。改めて人間の回復力や適応力はすごいと感じた。

 

術後3日目

昨日回復してきたと思ったがあれは嘘だ

5:00頃、赤ちゃんの授乳および搾乳を行い、7:00頃自分の検査を行った。なんだか朝からふわふわしていて、寝不足だからかなーと軽く捉えていた。採血をされたが、正直なんとか耐えられたけど割とコンディションは最悪だった。

搾乳を繰り返しているせいで乳首もめちゃくちゃ痛い。赤ちゃんに吸われて痛くなるんじゃなく、無慈悲な機械か看護師さんの手による搾乳の影響というのが、少し悲しかった。

次の授乳(搾乳)はご飯を食べてからすることになり、8:00頃ご飯が届き食べはじめたものの、やっぱりなんだかフラフラする。頭がぼーっとする。直近の授乳タイミングの間では寝られなかったのでそれが原因かなーと思っていたら、先生が突然入ってきて「貧血があんまりよくなっていないので、ちょっと後から診察しますね。ひょっとすると輸血になるかも」みたいな話をしてきた。そう、このふわふわフラフラは貧血が原因なのだ。

その話を聞きご飯を食べ終わると、要らぬ想像力が輸血と貧血というワードを元に脳内でラップバトルをするかの如く、怒涛に色々と話を展開する。

そのせいであっという間に体調不良になり、私はベッドから起き上がれなくなった。寒気もするし、何よりふわふわが加速する。めまいまではいかないが、今立ち上がればもれなく倒れる。看護師さんが授乳タイミングで来てくれたが、ふわふわして寒気がする私の様子を見て一旦スキップ、心電図や何やらを計り始めて、一気に私の回復状況は術後1日目くらいに戻ったかのようだった。


9:00頃、診察のため部屋を出るがまた車椅子での移動。内診台に座る。私は診察で正直何をされるのかがわかっておらずめちゃくちゃ不安。および輸血が怖くてかなり参っていた。恐怖からくる寒気といつもの気絶への抵抗で、私は正常な状態ではなかった。

そして始まる内診。まだ耐えられた。傷やらの痛みはあったので深呼吸をして気を紛らわす必要があったものの、私の想像の範疇を超えていなかったから。しかし次からは何をされるかは全く分からなかった。お腹の様子を見るために傷跡上のテープを剥がされたり、お腹を押されたり。正常状態な私であれば、ここでようやく深呼吸をして気を紛らわせるタイミング。運が悪く無ければ気絶せずに済むような状態だった。でも、私は今限界状態。おそらく貧血のせいもあるがかなり弱っている。無理だった。何をされるのか分からない恐怖と、傷やらの痛み、寒気、脳内でこだまする輸血というワード。痙攣レベルに体が震える。寒い。怖い。意識が遠ざかりそうだが、気絶してはいけない(さらに状況が悪化し、検査を長引かせるから)。気づけば恐怖と様々な感情で涙を流していた。自分の想像を絶する出来事に、私の体はアラートをあげていた。

そこで診察は終わった。おそらく貧血の原因を探るため子宮内や傷跡部分をみてくれていたのだが、私が異常事態になってしまったせいでかなり手こずらせてしまった。


結局輸血が決まった。気絶はしていないものの、気絶寸前までは到達した(なんなら尋常でない震えという新ルートを開拓してしまった)ため、私の午前の体調は終わりを迎えた。

病室に戻りとりあえず休む。寒気はまだ治らないものの、先程の震えは止まっていた。多分10時頃、私はだいぶ回復し様子を見に来た看護師に「落ち着きました。先ほどはすみません」と大人の対応をする。えらい人間の鑑である。

多分貧血と輸血で色々想像したことが原因です、と伝えたら「想像しちゃったからかー、そうかなとは思ってたよ、大丈夫大丈夫」というめちゃくちゃ理解ある彼氏くんならぬ看護師さんの対応に本当に救われた。

その後輸血する血について説明(血液型とかどれだけの量やるかとか)を受け、私にはどこかの誰かの血液2人分が輸血されることとなった。

輸血している時、私はいやに感動してしまった。誰かが献血に行ってくれたおかげで少なくともここにいる1人の命が助かっています、と叫びたくなった。いつも以上に感受性が豊かになっている。


午後にかけて輸血は行われ、無事終了した。

母子同室は今日は休みとし、昼ごはん後の授乳タイミングから授乳だけを行った。ミルクを飲む量が日々増えており、これにも感動する。

 

余談だが、この子達が昨今のルッキズムだのなんだのつまらない風潮に乗せられないでほしい、とミルクをあげるたびに思う。

私は子供が好きじゃない。多分今もそれは変わってなくて、よその子供を見ても特に何も思わない。

でも自分の子は別だった。まだ生後3日にもかかわらず可愛くて愛おしくてしょうがない(むしろ今だけと言われたら泣いてしまうが)。そんな可愛い我が子を汚すような世の中は絶対に許せない。一生懸命に生きてほしい。もう感受性暴発。辛くもないし悲しくもないけど、ミルクをあげるたびに一生懸命に飲む我が子を見て、涙が出る。もし仮にこの子達を傷つける何かが現れるのであれば、私は鬼にでも何にでもなる。ミルク一滴が飲まれていくにつれて、そんな決意を固めていった。


今日も仕事後に面会に夫が来てくれる。双子揃って同室にする。姉の方は微動だにせず大人しく寝ているのに対し、妹はやたらと手を動かし布団を蹴るなどして寝ている。対照的な2人となるか。

夫の役所での手続きに伴い、双子の存在を国に知らしめた(出生証明がされた)。昨日までは仮名だった2人も、正式に名前がつけられた。

面会から夫が帰ると同時に、双子も新生児室に帰してもらう。私の体は結構限界に近しく、今日色々あった上まとまった睡眠が取れてなかったため、頭痛や疲労感が拭えなかった。そのため、3時間ごとの授乳を一度スキップし、6時間まとめて寝かせてもらうようお願いした。睡眠前最後のミルクをあげ、私は眠りに落ちた。

とはいえ、6時間まとめて寝られることはなく、体の痛みで途中何度か起きた。それでもすぐに再度寝られたため実質6時間睡眠。結構回復できた。

やはり睡眠は大事なのだと改めて実感する。家に帰ってからもまとまった睡眠が取れるよう工夫が必要だと感じた。


うちの双子は前にも書いたがあまり泣かない子たちなのかもしれない(なお、このブログを執筆している私はこの記述を見て鼻で笑っている)。他の部屋から聞こえる鳴き声がずっと続いていることが気になっていた。ある授乳タイミングで看護師さんが、「この双子ちゃんたちはよく寝ますね」と言ってきたので、泣くには泣くけどすぐ泣き止んで寝ますね、と返した。この頃から泣き方は赤ちゃんによって違うのか聞いてみると、やはり違うようだった。泣く子は何をしても泣くらしい。そこで、他の部屋の赤ちゃんは多分そのタイプなんだろうなと察した。と同時に、それを責めてはいけないと心から思った。子供の違いでしかないのに、母親が泣き止ませないからだと思い込ませたら辛くてしょうがない。

とはいえ、母親のせいだ、早く泣き止ませろと思うようなやつは残念ながらこれを理解できる頭をお持ちではないのだが。そんな残念な頭の持ち主も、こんなに可愛い時期があったとは、つくづく不思議である。

出産は間違いなく命懸け〜出産体験記②〜

こんにちは、峠野です。

前回執筆した出産体験記、実はあそこがピークじゃないんですよね。出産って産んだ瞬間ばかりがクローズアップされがちで、産んだ後の入院期間ってあまり語られていない気がする。

経膣分娩だろうと無痛分娩だろうと帝王切開ぁようと、出産当日以降もきっと色々あるはずなんです。個人差はあれど。

ここからは私の帝王切開後の怒涛の日々をちまちまと綴っていきたいなと思います。

正直出産当日よりその後の方がキツかった。蓄積されてるからってのもあるだろうけど…

 

というわけで、『手術直後〜術後1日目ー麻酔師にほんの少しの復讐をー』開幕!

 


術後、深夜から早朝にかけて、幾度か授乳をした。とは言え母乳なんぞ出ないのでアカンチャは添えるだけ。それだけでもいいらしい。ふわっふわの赤ちゃん、いとも簡単につぶせてしまいそうで本当に怖い。流石にそこまで握力ないか…


突然の手術には、私を絶望させる大きな要因があった。それが、断食である。帝王切開した当日は何も食べることができず、術後6時間は飲むことすらできない。翌日の昼からようやく、五分粥という激柔らか食材(昔入院した時に全粥を経験した身としてはそれよりはマシなのだが、久々に食べるご飯がこれ、というのは幾分かテンションが下がるのである)を口にすることができる。

 

帝王切開はそういう約束とはいえ、前日から準備しておくのと当日いきなり行うのとでは同じ手術でも全く違う。前者は断食に備えることができるからだ。しかし私は何も知らされず突然飯を遮断されたも同然。本当に絶望した。最後の食事は盗み食べたようなガルボ一粒と水2口程度。

手術終わって緊張から解き放たれたというのに水すら飲めない。こちとら喉カラッカラなのによぉ!!!!

 

深夜0時位だったかの私の経過観察において、腹を触診されて痛みで気持ち悪いと言いながら呼吸を荒くしていたら、看護師や先生が焦っていたのをなんとなく覚えている。血圧は当たり前に低いし、顔色はものすごく悪かったらしく、落ち着くまで周りの作業を止めてしまった。なんとか意識は手放さずに済んだ。こうやって気分悪くなってきたときって、水飲んでなんとリセットを図ろうとするのに、その手段が取れない時の絶望感も尋常ではなかった。気持ち悪くてしょうがなくて、思わず「水飲んでいいですか!?」と質問してしまった。無論、「ダメです」と言われたわけだが。水を飲めていたら今回の気絶チャレンジはきっともう少し早く終えられていただろうに。

落ち着いたのち、「何が原因だったのか」を聞かれたため、お腹を押されて想像以上の痛みが襲ってきたことが1番の原因だと答えた。それ以外にも横に転がされたことによる痛みの蓄積があったのも原因ではあるとも。お腹触らないわけにはいかないからね、と言われてそんな身も蓋もないことを言わんでくれ、と思った。わかっとるけど想像を超える痛みにはめちゃくちゃ弱いねん…

 


その後、術後6時間(深夜1時過ぎ頃)が経過し、晴れて私は水が飲めるようになった。起き上がることはできないため、ペットボトルストローを用いて寝ながら飲んだ。ありがとう先人たち。もちろん病院からの持ち物にも指定はあったが、YouTube帝王切開した人が持っていくと便利なものとして紹介してくれていたおかげで私の命が助かりました。感謝。

でも腹はずっと減ってる。深夜のうちは、痛みより何より空腹が勝っていた

 


そして術後1日目、入院2日目の朝、ものすごい激痛が腹部にあることにきづく。

昨日の夜はアドレナリンが出ていたからか、(気絶チャレンジをした経過観察時以外は)個室特権を濫用し、動画で心境と状況をYouTuberになった気分でレポするくらい元気だったのに!

「今日は歩行練習をするので、ベッドちょっと起こしますね」という鬼の宣言。いや無理やて!無理無理!痛いもん!!という私の中の小学生を黙らせて、大人な私が「ハイ…………」と精一杯の返事をする。大人の私かてなあ!!!!痛いのは嫌じゃ!!!!でも歩かずに血栓リスクを高めて危ない目に遭うのはもっと嫌じゃ!!!!


それと同時に、経過観察をされる。お腹の戻り具合だとか、悪露の状態だとか。昨日手術終わったばっかなんだから経過なんて「痛いしやばい」で終わりだよ。それ以外あってたまるもんか。

ベッドを軽く起こした瞬間マジで痛すぎて鎮痛剤を求めた。腹の傷が熱を持っていることが身に染みてわかる。しかし、痛み止めはすでに点滴で打たれているらしいから、一旦様子見された

と ゛お゛し゛て゛た゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!!!

私の中の藤原竜也が思わず叫ぶ。

 

てかさあ、私少年漫画の登場人物じゃないんだから、腹切られてすぐに「俺は…平気だ!」みたいな顔して戦えないって。あいつらやばいやろ、腹だの腕だの体の一部が切られてもしばらくは動き回るってさ。しかも麻酔してないんだぞ。 アドレナリンどうこうって話ではないだろ、もう人間を超越した何かだよ。せめて麻酔しろよ。戦う前にもう準備として麻酔入れとけって。修行も大事だけど、直前に念には念を入れる感じで、痛みには麻酔入れとけって。それだけで若干有利になるって。

 

藤原竜也が悶絶している間、次女が黄疸多めだから数値を測ると言われ不安にさせられる。まあ大丈夫だろうとのことだけど、ほんとかな!?てか今言う!?藤原竜也が転げ回ってるところでする話じゃないですよね!?まずは鎮痛剤じゃないですか!?!?!


時間的に別の看護師に担当が変わったので、再度鎮痛剤を求めた。すると歩行練習もあるから入れましょうとのこと。竜也ももうへとへとになっている。もはや瀕死。ありがとう女神。これがシャブ漬け産婦の爆誕の瞬間である。

点滴で追加される鎮痛剤。正直効いてるのかわからない。だって痛いんだもん。痛いし熱いんだもん。先生による診察がされたとき、腹を押されてあまりにも痛くて悶絶していたら(再放送するな)、「腰からの鎮痛剤押そうか?アレ!無いんだっけ、そうか!」と言われて泣きそうになった。おのれ麻酔師ィ…。お前が2つあるうちの1つを早くも断念したから術後の私がこんなに苦しむことになっとるんやないけ!!私が主人公の麻酔師に復讐する話始めたろか!?こちとら修行してお前に挑んでやろうか!!??ハッ……!!その場合、戦う前に麻酔師めちゃくちゃ準備して来るやろ!!メチャ有利やん!!敵が使うのはナシですやん!!!!

……とは言え彼はきっとベストな判断をしてくれたはずなんや、無事産まれたんやから恨み言は…………ちょっとくらい言わせてくれよな!!!!

 


そして11:00くらいになって、歩行練習が始まった。それまでもこまめにベッドの起き上がる角度を上げていき、それに比例して私も悲鳴を上げていた。正直上半身を90℃近くに持っていくだけで今日のタスクは終わり!としたかった。(現に私が死にそうすぎて双子の授乳タイミングを2度ほどスキップした)

そんな疲労困憊状態で、ベッドから立ちあがろうとした瞬間、股に繋がっている悪露吐き出し用(?)の管を目にしてしまった。その瞬間、

血、

管、

自分につながっている、

異物、

…といった感じで悪魔の連想ゲームが始まり、気分が悪くなってしまった(文章に起こしてもなぜこれで気分が悪くなるのかわからない)。やばい気絶する。周りの音が聞こえにくくなって、目の前がぼんやりしてきて、どうしようもない吐き気に襲われて、また気絶チャレンジの開始。いいよ何度もいらないよ!おかわりって言ってないのにご飯ついでくるお節介母ちゃんかよ!

立ち上がるどころではなくベッドに寝転がり、呼吸荒くしつつもどうにか意識を保つ。看護師の「ダメだこりゃ…」が聞こえてくるようだったし、なんなら私も言ってたんじゃないか。

「お昼ご飯食べてから頑張りましょうか」と看護師から仕切り直しを提案され、私はそれに従うほかなかった。

 


12:00飯解禁。五分粥に里芋の煮物、カブか何かの煮物など胃に優しそうな質素なメニューだった。だが飢えた獣の前ではそんなことは関係ない。飯は飯。がっついた。秒で完食。とはいえ五分粥は無味でおいしくはない…という感じだったので、ふりかけの密輸を夫に頼むことにした。

身体中に染み渡る栄養。ああこれなら午後の歩行練習頑張れる気がする!と私は意気込み、早いうちからベッドを起こして待機していた。私、失敗しないのでと言わんばかりの風格(なお数回失敗している模様)。恥知らずの大門未知子である


14:00頃、第二の歩行練習が始まった。目標はベッドから立ち上がり室内のトイレまで行くこと。それさえできればいろんな管が私の体から外れ、比較的自由になるし何より気絶リスクがぐんと下がる。絶対にここで成功させたい。頑張れ大門未知子。

私は気合を入れ直し立ち上がる。とりあえず立ったぞ!ハイジ、見てるか。いつもの気絶の感じはない。行けそう。でも、音が遠ざかる。気分は悪くないのに。いつもの気絶ではないけど、このまま続けるとまずそう。一旦座らせてもらい、「気絶とは違いますが、音が遠ざかる感覚があって…これは気絶とは違うのでちょっと休めば継続できると思います。気絶とは違うんですよね、なんなんだろう」としつこいくらいに気絶とは違うアピールをする。中断させないためだ。おそらく貧血らしい。結構な確率で帝王切開後の歩行練習者は似たような症状を訴えるとか。じゃあよかった!ここで中断させてたまるか!と、休息により完全に復活した私は、再度立ち上がり点滴台を杖代わりとし一歩を踏み出した。

歩けた。ワシがクララや!!!ハイジも「立ったどころか歩いとるやんけェ!」と思わず興奮で我を忘れている。入院して治療後に久しぶりに歩く、という類似の体験を何度かしたことがあるが、毎度同じような達成感を味わっている。

そして弱々しくも着実に一歩一歩を踏み締め、トイレまで到着。Uターンしてベッドまで戻ったが、体調に変化はなく晴れて歩行練習成功。トイレ解禁となった。 大門未知子も汚名返上できたね、よかったよかった。

 

その流れであらゆる管を抜くために処置室に向かうことになり、歩行か車椅子の選択肢を与えられたが、処置室まではそれなりに距離があったので臆病な私は車椅子を希望した。

処置室では内診台に座り、尿排出用の管や悪露排出用の管、そして子宮収縮のためのバルーンなどを体内から取り出してもらった。これで私に残ったのは、心電図計測のケーブルと、点滴のルートのみである。とはいえあらゆる管がなくなったことでかなりの自由を手に入れられ、私の人権が取り戻されていった。

処置室から病室に戻ると、看護師にはとても褒められた。午前の様子を見る限り今日は無理そうかな、と思っていたらしい。私も無理だと思っていたので何も違和感はない。午後は見違えるほどに顔色も良く頑張っていたと言われた。自由を渇望する人間の底力はただものではないんだということと、飯の力は偉大であることを私は再認識した。

その後蒸しタオルで体を拭いてもらい、着替えを行った。めちゃくちゃ気持ちよかった。早くシャワーが浴びたい。欲は尽きることがない。

 


その後、夫が面会に来てくれて、密輸品のふりかけや追加の水などを渡してもらった。夫はこの機会を生かして初めてのミルクを双子にあげていた。自分で言うのもアレだが、夫がパパをやっている姿を見ていわゆる「尊い」みたいな気持ちになった。語彙力がないせいでこれ以外の表現が見つからない。

飲み物が解禁されたので飲むヨーグルトも密輸してもらった。美味しい。その後夜ご飯にヨーグルト出てきたのは笑ったけどカルシウムはたくさんとったらええねん。

そして名前の最終決定を行った。本当はこの土日を使って家でゆっくり決定(主に漢字)を行うつもりだったが、もう彼女たちが生まれてしまったので病院で行う他なかった。そして無事、彼女たちの名前は決定した。

双子はNICUに入らなかったものの、早産ではあるので小児科への入院という形になった。特に現時点で何か症状があるとか、懸念点があるというわけではないらしいが、念のための健診らしい。何もないに越したことはないが、毎日小児科医に診てもらえるのは安心ではあった。

途中母からのLINEによるしょうもなジョークで死ぬほど笑わされ、せっかく和らいでいた腹の傷の痛みがまたピークに達しそうになった。産後の恨みを母親に抱くことになるとはな

 


そして夫が帰宅したのちも3時間毎の授乳。だが昨日とは違い母乳が若干ではあるが出るようになってきた。人間ってすごいなーと思っていたら、看護師に帝王切開で出血も多め、貧血にも関わらず1日目からこんなに出るのはすごい、と褒められたので調子に乗った。そうか、人間というより私という存在がすごいんだなあ

とはいえ、双子はいずれもまだ乳首から上手く吸うことができず、人の乳首を舐めては渋い顔をして吸うのをやめるか、咥えたまま寝るかしかしなかった。

寝るのはいいけど渋い顔してぺぇ!はママ地味に傷つくよ。哺乳瓶に入れたミルクはあんなにゴクゴク飲むのに私の乳首はいらねって、私の乳首不味すぎ…!?

まだ双子も私も練習中だからこれからってことでいいのかな。生まれてまだ2日目だというのに鳴き声が大きくなってきたね。それに胎脂もだいぶ取れて垢抜けてきたね。顔はまだ見分けつかないや(ごめんね)。まだまだ変化を見せてくれるのか!?これからが楽しみだね、ハム太郎