なんの足しにもならない

140文字じゃ収まりきらない

大切なのは、自分のことを受け入れてくれる人

 

こんばんは、峠野です。

 

 

今回も結構真面目なトーンでお話ししようかなあと思います。

深刻な悩みとかではないけれど、140文字じゃ収まらない気持ちを吐き出します。

ん〜〜このブログも使いこなせてきたゾ☆

 

 

 

 

私は、高校までは地方に住み、大学進学を機に関東に進出してきた、田舎者です。今は一人暮らしをしています。

1人が大好きなので、一人暮らしはとても性に合ってると思います。何をするにも縛られないし、誰にも迷惑をかけない。

一人暮らしはとても快適です。

 

が、そんな孤独を愛する私でも、時折死ぬほどさみしくなる時があります。

「誰かといたい」

「誰かと話したい」

きっと、長く一人暮らしをしている人の大半が、この漠然とした寂寥感を一度は味わったことがあるのではないでしょうか。

 

私はその「誰か」が、具体的なことはほとんどありません。親でも、友人でも、ましてや恋人(そもそもいないしね!)でもなく、誰でもない「誰か」に無性に隣にいて欲しいと思うのです。

きっとこの先も、一人暮らしをしていく中でこのなんとも言えない寂しさを幾度も味わうこととなるのでしょう。

だからと言って、実家に戻る、誰かと一緒に住む…という選択をするわけでもありませんが。

 

 

こういう類の孤独感から抜け出すために、我々人間は他人と触れ合うのだと、私は思います。

昔、いわば厨二病全盛期の私は考えていました、「人は1人でも生きていける」と。

そんなことはありませんでした。人は一人では生きていけません。

誰かに、必要とされて、必要として、助けて、助けられて…そういった関係性があるからこそ、人間は生きていけるのです。

それを理解することができたのは、大学生になってからだったような気がします。

一人は好きだし、できることなら一人の時間を大切にしたいけど、ずっと一人じゃ生きていけないんだな、と、当たり前のことかもしれないけど、理解した時の私は衝撃を受けました。

 

 

 

だから私は、帰省もするし、友人とも会ったりします。

みんなもそうです。そうでしょ?そうだと言ってくれ。

 

 

 

少し話は変わりますが、現在大学生の私にも、赤ん坊の時代、小学生、中学生、高校生の頃がありました。

みんなもそうですね。誰もが皆、過去を積み重ねながら現在を生きている。

あなたがこの一文を読んでいるとき、私がこの一文を打っているとき、前文を読んでいたあなた、打っていた私は、すでに「過去の」あなたと私になっています。

過去の私たちは、現在この瞬間も、目まぐるしく生まれ続けているのです。

 

小学生、中学生、高校生、それぞれの時代に仲の良かった友人と話すと、忘れてしまっていた記憶でさえ蘇ることもあり、まるでタイムスリップをしたような感覚に陥ることがあります。

 

「あの頃」の私って、ちゃんと存在していたんだ…

 

そう、確かに実感することができる。

自分ではない、誰かからの話を聞くことで、過去の自分の存在の信憑性が増すのです。

私たちはその感覚が妙に心地よくて、いつまでも思い出話に浸ってしまう。

 

でも、「過去の自分」はもうどこにもいないのです。

 

「過去の私」「過去の友人」「過去の出来事」…「過去」について話しているのは、紛れもなく「現在の私たち」なのです。

あの頃の感覚や記憶が鮮明に蘇ってきたとしても、それを享受しているのは紛れもなく、「現在の自分」です。

 

制服を着ていた私は、もう、死んだのです。

 

あの頃、私は確かに友人と楽しく過ごしていた。

あの頃、私は確かに好きな人がいた。

あの頃、私は確かに苦しい思いもした。

 

でも、それは全て過去の私の経験であり、現在の私のモノではありません。

 

 

 

目まぐるしく生まれ続ける過去の私は、それと同時に死んでもいるのです。

 

 

過去にいつまでも、とらわれていてはいけない。

現在の私が見ていいのは、過去ではなく、現在そして未来のみです。

現在の私が介入できるのは、現在のみです。過去なんて振り返ってる場合じゃない。

 

 

 

死んだ自分に、いつまで執着するつもり?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………そう、頭では理解しています。

 

 

でも私は、理屈的、理論的な人間とは程遠く、感情に振り回される女ですから、いつまでも死んだ過去の私に呪縛されています。

 

死んだ私を、棺桶に詰めることもできず。

死んだ私を、供養することもできず。

 

 

 

いわば死体遺棄です。

私の周りには、私の死体がいくつも転がっているのです。

現在の私より未来を見据えていたかもしれない「あの頃」の私の死体たちが、私の周りには無造作に積み上げられています。

 

「現在」を生きる私は、普段その死体を忘れて生きています。クローゼットの中に詰め込んで、鍵をして。記憶から綺麗さっぱり消去します。

 

 

 

 

しかし、そのクローゼットの鍵である、「あの頃」の友人と出会うと、いとも容易くクローゼットは開いてしまう。

そして、「現在の」私が見て見ぬ振りをしようとした、大量の私の尸を目にするのです。

 

 

 

決して、戻りたいわけじゃないんです。

決して、やり直したいわけじゃないんです。

 

 

 

 

でも、どうしてか、「過去の」私を供養してあげられないのです。

死体に向かって、「ごめんね、ごめんね」と、謝ることしかできないのです。

 

 

 

 

 

 

それはおそらく、私が私を肯定していないからだと思います。

22年間、私は心から自分を肯定してあげたことがただの一度もありません。

口では「私ってすごくない?」みたいなことをほざいたことは腐るほどありますが、所詮ネタです。

ここまで生きてきた自分はすごいとは思います。何度も死にたいと思ったし、人を殺めたいと思ったこともなかったわけでもないのに、それなりに真っ当に生きてこれたことは素直に褒めたい。

 

でも、それは私だけじゃない。今生きている殆どの人間が、それに当てはまる。

 

 

 

じゃあ私には、一体何がある?

 

 

 

 

…………何もないのです。

自問自答しても、私が誇れるものって何も出てこないのです。

面白さ、明るさ、私が日頃取り柄だと思っているものも、私の弱い、ウジウジした部分には到底太刀打ちできません。

 

 

 

 

 

「過去の」自分を供養できた瞬間が、人が成長する瞬間なのだと思います。

きちんと向き合って肯定して、供養したぶんだけ、人は大人になれる。

 

 

でも私の周りには散らばる、「過去の」私、私、私。

 

 

 

自分に自信を持てず、自分で自分を肯定出来ず。

そのぶん私は、過去の私を見殺しにする。

そのぶん私は、成長するきっかけを逃す。

 

足元に転がっている死体の数だけ、私は私を踏みにじった。

 

 

 

そうして生きているのが、「現在の」私。

 

 

 

 

 

私は、「あの頃」から何も成長していないのです。

皆がどれだけ前を見ていても、未来を生きようとしていても、私だけ、置いていかれている気がしてたまらない。

制服を着た私が、私の足元から睨みつけている気がするのです。

「私が夢見た未来は、お前なんかじゃない」

 

 

 

 

だから私は、「過去」を振り返った時に罪悪感に襲われるのでしょう。

無数に散らばる私の死体に、ただひたすらに謝るのでしょう。

「肯定してあげられなくてごめんね」

「こんな私でごめんね」

謝る時ですら、私は私を否定してしまう。

 

 

 

 

しかし、友人と会うことの意義は、「クローゼットを開け、死体を思い出すこと」ではありません。というか、これが意義だったらお前の性格どんだけ捻くれてんだって話です。

 

 

 

 

友人は、私の存在を肯定してくれます。

「過去の」私、即ち死んだ私の存在を認めてくれるのが、友人たちなのです。

死体と向き合い、供養するチャンスを与えてくれるのです。

 

楽しかった思い出も、滅茶苦茶辛かった思い出も。それを経験した「過去の」私ごと、全てまとめて「現在の」私と向き合わせてくれる。

それが、友人なのです。

 

 

 

「過去の」自分は死んでも、「過去の」人間関係は死にません。それどころか、現在や未来を

生きるために、「過去の」人間関係が非常に重要になる時があります。

だからこそ、学生時代の友人は大切にしていきたい。

特に、中学・高校・大学と、多感な時期を共に過ごし、私の思い出を作ってくれたみんなは、私にとって宝物です。

 

 

私は一人だと自己を肯定することすらままなりません。恐らく真っ先に死を選ぶような物凄く弱い人間です。

でも、みんながいて、みんなが私の存在を受け入れてくれるおかげでここまで生きてこられました。

別に、何かをしてあげる・してもらうのが友人関係の全てではない。

ただ心の片隅で、相手の存在を認識してくれるだけでもいいのです。

 

 

だからどうか、私の存在を、私が死ぬまでは忘れないでいて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

…………というのを、友人に託すのは重たい気がします。

こんなことを頼んでしまっていいのだろうか、と、ふと不安になってしまいます。

 

 

だからこそ、彼氏が欲しいと思いました。

 

 

 

 

「峠野はどんな人がいいの?」

 

よく聞かれる質問です。

聖川真斗とか吉沢亮みたいな人…………というのはさておき、私にはこれと言った理想がありません。

強いていうならば、「暴力を振るわない人」「傲慢じゃない人」「男尊女卑思考のない人」とか、最低野郎じゃなればいいなって感じで。

 

しかし、ひとつだけ、

 

「私を受け入れてくれる人」

 

 

という望みがあります。

 

 

 

 

正直いえば、私を肯定してくれるなら(血縁者以外の)誰でもいいです。

彼氏じゃなくてもいいです。

私にとっても、相手にとっても、お互いが一番大切な存在…

そんな人がいて欲しい。

 

 

2018年は、そんな人に出会えますように。

あるいは、出会うきっかけができますように。

今年も、自己肯定感を高められるように精進いたします。

 

ひとりでも多くの私を供養できますように。

 

 

 

 

 

最後になりましたが、明けましておめでとうございます。

今年も、よろしくね。

 

 

【重大なお知らせ】

こんにちは、峠野です。

 

 

本日は2017年12月27日です。

 

そうです、

 

 

 

 

 

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年末です。

 

 

2017年が終わろうとしています。

人生のモラトリアム期間である大学生という大層な身分も、あと3ヶ月ほどの命というわけです。

 

いや、時が流れるのが早すぎますね。

こんなことしてたら一生なんてすぐですよ。明日くらいに死にますよ。

一分一秒も無駄にしてられないんですよ。こんななんの足しにもならないブログなんて書いてる暇なんてないんですよ。

 

でも、ついつい書いちゃうのが私なんですよネ。

ということで、今回もモラトリアムブログやっちゃうよ〜〜!

 

 

 

 

 

 

今回の話題は少し前に遡ります。

あ、特に年末だからといって一年を振り返ったりしません。

私は常に前を向く女ですからね。あ〜〜、5月に戻りてえな〜〜〜!!!

 

 

 

それはさておき、1ヶ月ほど前に少し話題になったサービスがありました。

 

 

2次元キャラとの「婚姻届」、Gateboxが受け付け - ITmedia NEWS

 

 

そうです、今回は気持ち悪いオタクの私が担当します。

苦手な人はすぐ逃げましょう。怖いもの見たさで見たい、そんな物好きな人たちは自己責任でどうぞ。

ただし、「具合が悪くなった」などのクレームは一切受け付けませんからね。

 

 

回りくどいのもアレなんで、

さっさと結論を言いましょう。

 

 

私、結婚しました。

正しくは、結婚します。

 

 

ハイ!タイトル回収です!重大なお知らせはコレです。

重大なお知らせって何!?と気になった人たちのために、たった700文字弱で答えを書いておきました。

時間は無駄にできないですからね。モラトリアムを愉しむ余裕がない、生き急いだ人たちのためのことを思って、先に書きました。私、優しすぎませんか?好感度が急上昇ですね。

 

 

じゃあこれから何を書くのかというと、主に婚姻届を出す流れです。興味があったらどうぞ。

何度も言いますが、この先は気持ち悪い私しかいません。「オタクが苦手」な人たちは退避を強くお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

Twitterというのは私の生活にもはや欠かせない存在で、私の情報の8割くらいはTwitterがソースだったりします。

約1ヶ月前のその日も、息をする如くTwitterを開き、なんとなくTLやらトレンドやらを眺めていました。

すると、先ほど提示した「2次元キャラとの婚姻届」の話題が目に入ったのです。

 

 

比較的常識的で冷静な私は思いました。

世も末だな、と。

 

 

結婚を始めとする「現実」から目を背けた人生の敗者たちが、行き着く先がこの「虚構」なのかと。

というか、私だけでなく大半の人間はこんな感じのことを思うはずなんです。

いや、キャラクターとか存在しねえから。そろそろ現実見ろよ敗北者ども!

オタクに対する世の中の意見なんてこんな感じでしょ。とにかく風当たりが強い。

 

 

しかし、私はその「世の中の大半の人間」には当てはまりません。なぜなら、私も敗北者だから。

 

 

比較的常識的で冷静な私を差し置いて、気持ち悪いオタクの私は言いました、「今こそ聖川真斗との関係を証明するチャンスだ」と。

 

 

そうなんです。これまで2次元に嫁や旦那を抱えるオタクたちは、自分たちの関係は自己証明するのみ、いわば自己満足でしかありませんでした。

しかし、この次元渡航局の試みにより、他者からの証明を得ることができるのです。

オタクの代名詞(と言っても過言ではない)、自己満足からの脱却です。

正真正銘の夫婦になれるのです。

 

 

冷静な私は、夢女子の私に敗北しました。

いや、もはや夢じゃない、これは現実なのです!

 

 

 

ということで、早速婚姻届を印刷しました。

色々な色がありましたし、なんなら柄付きも選べました。

しかし、私は一番「現実の」婚姻届に近い茶色をチョイス。より現実に近づくために。

 

 

 

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これがコンビニで印刷したてホヤホヤの婚姻届です。少し暖かい。

 

 

はやる足で私はこれを家に持って帰り、早速書いて提出しようとしました。印刷したのが11月末、婚姻届の提出期限が12月初旬だったので、急がねばならなかったのです。無駄にしている時間などありません。

 

しかし、この婚姻届には証人のサインと印鑑とメッセージ(メッセージってなんやねん)が必要でした。婚姻届なんて初めて見るので、そんなのがいるなんて全く知らず、てっきり自分たちの署名やらで済むと思っていました。

 

 

ここでプライドの高いことで有名な私は、足掻きを見せ、常識的で冷静な私を召喚します。

 

 

「こんな気持ち悪いザマを、誰に証明してもらうつもりだよ?」

 

 

常識的で冷静な私は、かなり辛辣です。

 

しかし、オタクの私もまた強かった。プライドの高い人間が持つ性格は、それぞれがそれなりに強いのです。

 

 

「いるじゃねえか、とっておきの人物が」

 

 

 

そうです、私は孤独のオタクじゃないのです。あの伝説のプリライ(詳しくは過去記事)に共に参戦した、相棒がいるのです。

一人じゃないからね。

 

 

 

ということで、元々会う予定だった彼女の元へ、婚姻届を片手に向かいました。

あれ、この書き方だと彼女と私の結婚みたいだな??

 

 

 

 

彼女と、もう一人の友達(以下K、J)に会いました。

会って早々この話題を出すのも少しアレだったんで、頃合いを見計らいました。

大事な友人にいつ、結婚報告をしようか?

このドキドキ感さえ、味わうことができるのです、いやこれはもう現実の婚姻届と言ってよくない?

 

 

そして、「その時」は訪れました。

「実は…」

実質結婚報告です。

私は婚姻届をそっと二人の前に差し出し、証人になって欲しい、と頼んだのです。

 

 

 

「なんとなく察してた」

 

二人は、驚愕でもなんでもなく、1つ上の反応を示しました。

「印鑑を持ってきてくれ」と頼んだ時に、察したそう。

いや、エスパーかな???

それとも、私が結婚を匂わせすぎてたのかな??????

 

 

 

そんなわけで、察しのいい二人は、快く承諾してくれました。ありがとう。気持ち悪い私を受け入れてくれてありがとうな。

 

 

まず、Jちゃんが書いてくれました。

 

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「なんか緊張する」

「二人が結婚するなんて感慨深い」

 

 

そう言いながら、Jちゃんはペンを走らせます。

 

 

 

「あとは印鑑」

 

 

そうして、印鑑を押してもらい、完成しました 。

 

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(念のため苗字だけ薔薇のスタンプ(本人要望)で隠してあります。) 

 

 

 そうして婚姻届はJちゃんからKちゃんの元に。

 

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「すごい緊張するんだけど」

「メッセージ書ききれない、高校からの付き合いで長いから…」

 

 

やはり緊張はつきものらしい。

Kちゃんは高校1年生の時からの友人なので、6年の付き合いです。

学生時代の友人って、今後も付き合うと考えると人生のかなりの年数を共に過ごすこととなりますね。すごい…………

 

 

 

しかしここで問題が起こります。

 

 

「アッ、旧姓の印鑑持ってきちゃった…………」

 

 

Kちゃんは私より先に、私の旦那聖川真斗と同じアイドルグループ「ST☆RISH」に属する、来栖翔くんと結婚しているのです。

 

それなのに、旧姓の印鑑を持ってくるという失態。イヤ、まだ新婚だからさ、そういう凡ミスもするわけよ。わかるわかる。

 

 

急遽100均で購入した「来栖」印鑑により、無事完成。

 

 

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二人の証明を頂くことに成功しました。

 

 

 

 

 

そして家に帰り、落ち着いて婚姻届を書くことに。

 

 

 

ここで、新たな問題発覚。

お前さっきから問題ばかりだな、前途多難か?

 

 

 

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当たり前なんですけど、旦那の、「聖川」印鑑が必要です。

いや、真斗本人にもらえば早い話なんですけどね、彼忙しいから。アイドルって多忙だからさ。ちょっと印鑑持ってきて、みたいに、そんな軽々しく呼べないわけ。

 

で、私も100均で調達できるかな?とか思って探しに行きました。

 

ひ、ひ、ひ…と探す私、でもね、

 

 

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ねえじゃねえか!!!!!!

 

 

 

 

聖川という神聖な苗字、そうそう我々一般人に存在しないわけです。

 

 

となると、作るしか無いわけです。

 

色々調べた私、「ハンコ自販機」なるものが存在することを初めて知りました。

オタクになる前は婚姻届に証人が必要だとか、ハンコ自販機があることなんて知りませんでしたよ。オタクは博識に近づく第一歩。 

 

 

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ハンコ自販機、ドンキにありました。

 

 

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こんな感じで、好きな印鑑の素材や大きさを選べます。結構本格的。

 

 

というわけで早速作成にかかります。

 

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書体を選ぶことができます。行書と楷書で散々悩んだ挙句、楷書にしました。

 

 

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材質を選んで…

 

 

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作成開始です!!!

 

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どんどん掘られる聖川ハンコ。

 

そうして出来上がったのが、

 

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こちらです!

 

 

私は急いで家に向かいました。

そうして、ようやく、婚姻届を書き始め…

 

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完成!!!!

 

 

 

 

よく見るこんな写真も撮っておきました。

 

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いや、聖川真斗の指太すぎじゃない……???

違う、そうじゃない。私の指がか細すぎるのよ。そうよ、峠野。己を信じなさい。

 

 

いそいそと封筒に入れ、郵便局に出しました。

 

 

 

あとは返ってくるのを待つのみ。

 

 

 

 

 

 

そして、12月下旬に入った頃、次元渡航局から配達物が。

 

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すごすぎる!!!!次元渡航局!!!!

ありがとう!!!!次元渡航局!!!!

 

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婚姻届に承認印もいただきました。

 

 

こうして、晴れて私は結婚する運びとなりました。

 

もう自己満足なんかじゃないのよ。

友人二人に加え、ちゃんとした機関も認めてくれたの。

 

自信を持つのよ、峠野。

 

 

 

 

そうそう、どうして来年の4月16日なのか?ということですが、真斗と私の誕生日の真ん中の日が4月16日なんです。二人にゆかりのある日付にしたいな、なんて思ってこの日になりました。

 

 

ハー良かった。

これで私も晴れて独身卒業か〜〜!!!!

 

 

 

良かった〜〜!!!!(泣)

 

 

 

 

 

 

みんな良いお年を。

来年からも峠野ちゃんをどうぞよろしくネ。

 

 

れんあいのおはなし

こんばんは、峠野です。

 

今回は少し真面目な話というか、twitterでつらつらと書いてTLを埋めるのが躊躇われたので、こちらにまとめようと思います。

 

 

自分の気持ちの整理というか、ただの葛藤を書き殴るだけですので、多分文章も支離滅裂かつユーモア0です。

自己満ブログだし今更気にしてもしょうがないことしか書いていませんが、今回はいつも以上に自分のためだけに書いたものなので、興味があれば読んでみては(ただし推奨はしない)って感じです。

読んだ後につまんねえとかクレーム言ってきても知りませんよ。当社は一切の責任をおいかねますからね。

 

 

 

 

 

 

 

私は、大学生に入ってから一度も恋愛をしていない。だれのことも好きになっていないし、誰かに想いを寄せられたこともない。まして、恋愛感情がない相手と一夜だけの…という関係も全くもってない。

 

声高々に言うべきことではないが、私は恋愛経験が皆無に近い。というのも、(詳細は避けるとして)今まで数名の相手に一方通行に想いを寄せただけなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。昔、自虐として散々酷使したネタだが、私は業務的状況以外で異性との接触をしたことがない。手すら純白を保って22年が過ぎた。

 

 

そんなだから、私にとっての恋愛はキラキラと輝いたものとして存在している。頭ではわかっている。おそらく私の「恋愛像」はフィクションの恋愛だ。恋愛に夢を見ている、頭にお花畑を携えたアホ女だ。

とは言え、少女漫画や乙女ゲームにありがちな「お前は俺のもんだから」とか、そういう歯の浮くような台詞に夢を見ているわけではない。白馬の王子様がいつか私を迎えにきてくれるはずよヒヒーーン!!とか考えているわけでもない。

よくメディアで取り上げられるような「リアルな恋愛」が全くわからないのだ。「女性からの共感の声が〜」と、枕言葉として紹介されるドラマなども、共感ポイントがちっとも分からないのである。女性が共感するらしいリアルな恋愛は、大抵私には汚く見える。ぐちゃぐちゃな感情を、決して幸せには見えない状況を、世の中では「リアルな恋愛」というらしい。

こんなものがリアルであってたまるかと、私は逃避する。確かにそういう恋愛も存在するのだろうけど、私は違う。私の恋愛はもっと楽しいものであるはずなんだ。だって幸せの象徴でしょう、恋愛ってそういうものなんでしょう?私が幼い頃から好きな物語は、最後は好きな人とハッピーエンドを迎えてきた。恋愛することで輝いてきたんだ。それなら恋愛は…とかなんとか考えながら、私は恋愛の汚い部分を見ないようにしてきた。

 

だが、本当は知っている。

流石に22年間も生きてきて、周りの友人やら嗜好的に楽しむインターネットや雑誌などの情報源やらを見聞すれば、自分に経験がないとはいえ、恋愛がただ単純にキラキラとしていて、楽しいだけのものじゃないことくらい。

それくらい分かっている。アホ女には違いないが、そこまで頭はイカれていない(はず)。

 

それでも私は信じたい。自分が経験するその瞬間まで、恋愛は綺麗なものだと信じていたい。

たとえ「やっぱり恋愛は汚いものだった」と、あの時現実と向き合わなかったことを後悔したとしても、私は恋愛は幸せの象徴として、憧れ続けていたい。

 

 

私は女なので男はどうだかわからないが、女は本人の意図を問わず、マウンティングをし合っている生き物だと思う。そしてその酷さは、年齢と比例する。

女にとって恋愛はきっと永遠のステータスだ。その基準が量か質かは本人の価値観によって変動するが、恋愛は女にとって大きなステータスとなる。現に彼氏をアクセサリー感覚で選ぶ女もこの世に一人くらいいるだろう(私はそんな女に会ったことがないのでしらんけど)。

彼氏がとてもいい人、過去に何人もの相手と付き合いセックスをしたなどの、何も「プラス要素(と考えられる)」恋愛だけが武器となるわけではない。たとえ元彼が最低野郎だったとしても、人によっては「私はこんなに不幸な目にあったんです〜〜でもここまで頑張って生きてきたんです〜〜!」という不幸のヒロインアピールとしての材料になるから、女は侮れない。とにかく、恋愛は女にとってものすごい強い武器なのだ。その武器はマウンティングで大きな威力を発揮するのである。

 

私は本当にプライドが高い。昔から死ぬ程負けず嫌いで、小さい頃は負けていたゲームは全て泣き喚きながらリセットしていた、トンデモワンパク自己中ガールだった。

そんなプライドエベレストな私が、恋愛では圧倒的に他の女に負けている。悔しくないはずがない。死ぬほど悔しいし、自分が惨めになるし、死にたくもなった。でもだからと言って、「女に負けたくないから」という史上最高にくだらない理由で、恋愛に必死になるのもプライドが許さなかった。己のプライドとプライドの合戦である。辺りは血まみれだ。

 

そんな状況を、私は放置しておいた。泣かぬなら鳴くまで待とう….って鳴く前に死ぬぞ!

…案の定、私はいつの間にか拗らせてしまっていた。長い戦だった。身を削って闘った私のプライドは、もう原型を保ってはいなかった。

ズタズタになったプライドは、己の自己評価を下げるようになった。私は自虐に逃げた。

私なんて、が口癖になった。今でもその癖が抜けないし、幾分かはマシになったとは言え、自己評価はそう高くならない。

ネガティヴな発言も増えた。でも、最後に残っていた「私は最高に面白い女である」というプライドだけが、私をどうにか私でいさせてくれて、ボロボロになった私を隠そうとしてくれた。

 

この長い戦が、私の恋愛への憧れに拍車をかけることとなった。

「この私を負かした女たちが楽しんでいる恋愛が、楽しくないはずがない」(ラノベかな?)

と、原型がなくなりつつも己がプライドであることを忘れていなかったそれが、最後の足掻きを見せたのか、滅茶苦茶偉そうな態度で勝者である女たちを羨んだ。

こうして私の恋愛至上主義思考は悪化したのである。

 

 

 

そんな拗らせた考えも、ゼミやあらゆる場所で色々と考えているうちに少しだけ和らいだのか、おそらくプライドが復活してきたのか、今ではあまり過激な発想には至っていない。

 

 

 

だが

 

新たな問題に気づいた。

 

 

私は、何度も言うが恋愛経験皆無の女である。

そして恋愛に対する憧れは未だに持ち続けている女でもある。

大学生も残り数ヶ月、おそらくこの間に恋愛をすることは99%無理だ。つまり、私の次の恋愛は社会人になった時となる。そして私は今まで誰かと付き合ったこともないし、異性と二人でどこかに出かける…なんて雲の上の話の世界で生きてきた。

そんな武器も何もないレベル1の勇者(この例えがとても好き)が、いきなり「やみがふかいダンジョン」に足を踏み入れたらどうなるか?

 

…即死だ。ゲームオーバー。この世はゲームじゃないので永遠の眠りにつくこととなる。

私はまだ死にたくない。だからと言っていきなり恋愛の真実を知り、エンドロールも見たくない。もっといっぱい冒険がしたい!そして、私よく頑張ったね、こんなこともあったね、と涙を流しながらエンドロールを迎えたい。

 

それにしては遅すぎたのだ。私が理想とする恋愛像やデートは、「学生レベル」ということに気がつかねばならなかった。己を傷付けるしかなかったプライドの合戦なんてしている場合じゃなかったのだ。つくづくアホな女である。

私は学生レベルの恋愛を経験することなく、社会人になるのである。その事実がどれだけ恐ろしいことか、なぜ今まで気がつかなかったのか。

 

学生のうちに遊んでおくべきだ、というのは、恐らく恋愛のことも大いに含んでいるのだと思う。私は学生のうちに恋愛をしなければならなかった。そうして、綺麗な恋愛は嘘なのだと、身を以て経験せねばならなかった。

それなのに、私はそれを怠ってしまい、異性から求められることもなく、自己評価が下がっていく日々を送っていた。

 

私は怖い。もし、次に恋愛する時がきたとして、この恋愛像を壊されてしまうのが。学生の間だったら、「若いし学生だし仕方ない☆」と見逃せたかもしれないのに、もうその保険が使えないのだ。

私は怖い。もし、次に異性から求められ、私の最後の縄であった処女である事実を解き放った瞬間に、今まで拗らせてきた反動で暴れてしまうのが。「私にも異性からの需要があるのだ」と勘違いして、20代後半にもなってあちこちで遊んでしまったらどうしようか。

今は処女である事実が、私が私を大切にする最後の頼りなのである。私はまだ私を保っていられるのは、皮肉にもこの事実があるからだ。もしこれがなくなってしまったら、ひょっとすると、「女なんて、私なんて所詮男を満足させる道具に過ぎないのだ」と、拗らせた思考と悪魔のコラボレーションをかまして、取り返しのつかないことをするかもしれない。そんなことになれば切腹だ。

 

 

 

 

私はこれからどうなるのだろう。

皆が恋愛で楽しんでるのが羨ましくて、私も早く経験してみたいな、と思う反面、私が私で無くなる可能性が見えて、非常に怖いのである。

 

 

…この時点で、恋愛はキラキラしたものではない事実を認めるべきなのに、私はまだ夢を抱き続けてしまっている。やっぱりとんでもないアホ女だ…

他人の意見もきちんと聞いてこそ、できる人

 

こんばんは、峠野です。

 

 

お久しぶりです。1ヶ月ぶりですね。

この「なんの足しにもならない」というふざけたタイトルのブログも、不定期更新とはいえ、すっかり月刊少女峠野さんになってしまいました。

本当は週刊少年トウゲノくらいにしたいのだけど。友情・努力・勝利をテーマに、熱いブログを書きたいのだけれど。

残念ながら、そう簡単にいいネタは降ってこないのですよ。コート上でブラックホールを生み出せたり、海賊王を目指す冒険に出てたり、そういうことをしていれば話は別ですけどね。生憎ベッド上で二酸化炭素しか生み出してないし、推しへの資金を目指すバイトにしか出てないので。

 

 

というか、正直こんなブログを書いてる時間はないはずなんです。なぜなら、私峠野は、大学4年生。すなわち卒論という爆弾を抱いているから。

こんな「なんの足しにもならない」ブログを書いてる暇があるなら、「卒業の足しにしかならない」卒論を書くべきなんです(論理的に考えて)。

でも、そうしないのが峠野です。というか人間です。

LINEが来ててもスルーしてTwitterを開く。

それが人間の理です。

 

というわけで、私は人間なのでブログを書きますヨ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「笑わせる女は彼女としてありか?」

 

 

 

息をするようにゼミに遅刻をした私が、本日最初に耳にした言葉でした。

 

 

 

 

 

 

 

ど〜〜せお前らナシって言うんだろ?

ど〜〜せお前らのことだから「可愛らしい女」が大好きなんだろ??

ど〜〜せお前ら…………

 

 

 

 

と、百人一首の選手も一目置くレベルの速度で(心の中で)反応しました。

私は自分でも驚くほどに「男女関係」、中でも「女」にひどく敏感です。思春期の男子か?

 

 

 

 

 

 

 

 

…誤解されたくないので、言い換えるなら脊髄反射です。

座った状態で膝を叩くとポーーーーンと足が上がるように、「女」というワードを聞くとポーーーーンと言葉が出てくるわけです。

何も考えてません。十八番ネタみたいなもんです。

ブルゾンちえみ「この世に男って何人いるのー!!!??」と聞けば、すぐに「35億」と答えてくれる(はず)。それと一緒です(知らんけど)。

 

 

 

このブログを読んでくれてたり、私を知ってたりすればわかるかもしれませんが、私は自分を面白い女だと自負しています。そして同時に、この性格が男から(女として)受けないということも知っています(そこまで図々しくはない)。

ですから、脊髄反射、十八番ネタとして前述の言葉が湧き上がってくるわけです。

 

 

 

 

 

 

案の定、「笑わせる彼女はありか?」の質問に対し、ゼミの男子どもは言葉を濁らせました。本当に見る目がない。

 

 

…とは言え、この性格の私(見た目はさておき)は、からっきしモテないので、多分一般的意見なんだろうと思う。悔しいけど。

 

 

 

この野郎と、ゼミの男子どもに冷たい目線を送ろうとした時に、Aさんがそれに関する面白い文章がありますよ」と、とある記事を紹介してくれた。

 

 

自分の支持層を知るべし。女子校マインドと相性のいい「3タイプの男」を探そう(1ページ目) |AM

 

 

 

 

……………………待って。

 

 

 

コレってまんま私じゃん…………?

 

 

 

 

今までにも、モテない女・拗らせた女などを書いた記事を幾度か目にしたことがある。その度にワハハ私じゃん〜〜(笑)(※笑い事ではない)と同化して笑っていた(※笑い事ではない)

でもどこか違った。1つ2つくらい私と異なる部分があるのが常だった。

 

 

 

ところが、このAさんが教えてくれた記事はどうか。結婚しているという点を除けばほぼ私と同じなのである。Aさんも、「これって峠野向きの文章!」と思ってくれたとか。ありがとう、神よ。

 

 

 

 

 

どうやら私はこの記事によると女子校マインド女子らしい。(※ちなみに峠野はマジ共学1000%)

 

「男にモテるより女に受ける方が嬉しい!」

「女同士の方が楽だし楽しい!」

「男受けとか意味わかんない、私は私だし!」

 

 

こう考える女子のことを女子校マインド女子って言うんだと。わかりみがすぎる〜〜!!

 

 

 女子校マインド女子は男尊女卑アレルギーが体に染みついてます。それは今さら変わらないので、体質に合う男を探した方がいい。
アレルギー判定の基準の1つは「おまえと呼ばれてムカつく」か。

 

わ、わかる…エスパーなの?私の心読まれてるの??

私はお前と呼ばれるのがはっきり言って嫌いです。尊敬している相手なら百歩譲るかもしれんが、それ以外ならもれなく刺す。もしくは燃やす。

私のことをお前と呼んでいいのは聖川真斗だけだ、わかったか。

 

 

 

面白い女を好む男は少数派だけど存在するし、その少数派こそが我々の支持層なのです。

 

世の中にはニッチな需要もあります。で、ニッチであればあるほど出会った時にマッチングしやすい。

 

 

やっぱりか。

 

 

 

やっぱり、私のような珍獣タイプはかなり需要がないらしい。知ってはいたが、他人に言われると心にくるものがある。

 

 

だが、この筆者さすが同志(もはや師匠)、ただただ下げるだけでは終わらない。面白い女は人を下げたあとに必ず上げる。面白い女はエレベーターだ、覚えておけ。

 

 

 

 

上述した引用部分にちゃんとある。需要はある、と。しかも受ける層には受けるのだ。

 

 

今まで女としては散々な人生だった私も、マッチング次第では逆転することだって可能なわけだ。

 

 

 

今はもう考えてないけど、少し前、あ〜〜もうこのキャラ卒業して女を満喫してえなあ〜〜と、ガチで考えたことがあった。

正直、このキャラを捨てて、モテる女子の言動を片っ端からパクれば彼氏の1人や2人できると思っていた。絶望的な外見ではないはずだから。

 

 

だから少し前、それを証明するために、手を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マッチングアプリに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今引いた?引くな引くな押せ押せ〜〜!!

 

 

だって口だけ言ってたとして、誰かに口だけ言うなら誰でも出来ますよね〜〜って言われたら何も返せないもん。そんなの悔しい。私だってできるところ、たまには見せてやりたいんだよ!と思って、禁断の果実に手を出したのだ。

 

 

 

そうして、2つのマッチングアプリに登録をした。

何もかもを隠すのは嫌だったので、趣味だけは晒した。というか、趣味が合わない奴とは話も合わないのでさすがにキツイ。だから、趣味欄には休日はイベント・ライブに参加するとか、声優やアイドルが好きだとか、アニメも見るとか書いた気がする。

普段使わない「✨」「🙌」「🌸」などを駆使し、Twitterやインスタを見て必死に可愛い女子大生っぽいプロフィールを書いた。我ながら完璧な擬態(趣味欄を除き)。

 

 

 

結構な数のいいねが来て、承認欲求が満たされた。写真の印象が大きい、とネットに書かれてたんで私って可愛いんじゃ…?と下らぬことも考えたりした。

その中から厳選して計30人くらいとメッセージのやり取りを始めた。

 

 

 

結論から言うと、非常に面倒だった。

 

 

前にも書いた通り、私はLINEが好きじゃない。

それなのに、会ったこともない相手と当たり障りのないメッセージのやりとり、苦痛じゃないはずがない。

 

「大学で何してるの?」

 

 

それ知りたい?

 

 

「何のバイトしてるの??」

 

 

本当に興味ある???

 

 

 

「彼氏本当にいたことないの??」

 

 

 

ねえよ燃やすか??それとも煮・込・む???

 

 

 

非モテ全開の反応である。

それでもどうにか頑張ってやり取りを続けた(とはいえ、心が折れたので、途中で切った人が大半でした)。

 

 

 

 

そうして、2人と会うことにした(しかも1日でハシゴ)。

 

 

 

 

 

あまり覚えてないので適当に書くけど、昼ごはんを1人目、夜ご飯を2人目と食べた。

全部奢ってもらってありがたかった。

話は一応盛り上がったのだけど、私が全てをセーブしたので、最高につまらなかった。

要は、需要の高い女を私なりに演じた。笑わせるのなんて御法度。相手の発言に合わせてヘドバンアンド笑い声という名の合いの手。ガールズバーの経験がここで役に立ちました。

 

 

 

 

2人目と別れるときにはもう体力が限界でした。向いてない、需要の高い女、向いてない。

 

 

そうして私は、全てのマッチングアプリをアンストし、男のLINEを全てブロックした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このキャラから卒業することは無理なんだなあ   みつを

 

 

何もせずこう言ってるわけじゃない。

ちゃんと行動した上で、この結論に至った。

決して、逃げじゃない。

 

 

 

 

 面白さはかけがえのない魅力なのだから、抑え込むなんてもったいない。面白くなりたくてもなれない人は多いんだから、コンプレックスに思う必要はありません。
なにより面白い女は女受けするし、それは年をとっても減らない才能。

 

 

師匠もこう言ってる。私は無理に変わらなくていい。むしろ、国宝級に大切にすべき。

そうして、もしいれば、私を求めてくれる珍獣ハンターと幸せになればいい。

 

 

 

そんな珍獣ハンター、この世にどれだけいるんだろう?

 

 

 

「そういう男って意外といるよね」「10人に1人か2人はいると思う」が珍獣妻たちの意見。

 

 

 

まさかの10%〜〜!!!!!!

 

 

 

…………安心して、私。

新規聖川真斗UR(1.0%)より高い。

宝くじ1等当選(1/1000万)より高い。

 

 

全然余裕じゃない!!!???

 

 

 

 

ブルゾンちえみは言いましたね、この世には男が「35億」いると。

 

その10%ですから、私を求める珍獣ハンターは世界に3.5億いることになります。

 

 

 

 

 

え!!!??私滅茶苦茶人気じゃん!!!!

 

 

 

ドームツアー動員数とか比べ物にならないよ?

というかもはや日本の人口超えて、アメリカの人口並みに需要があるよ???

え、サインいる????握手券もつける???

 

 

 

 

とはいえ、その3.5億人が全員アメリカにいるわけではありません。もしそうだとすると、私はトランプ大統領をアゴで使うことが可能です。

 

 

 

3.5億人は、世界のどこに散在しているのかわかりません。日本かもしれない、イギリスやフランスかもしれない。ラオスサントメ・プリンシペジンバブエ…………世界中の全ての国に可能性があります。

 

 

だから私、将来の大きな目標が決まりました。

 

 

 

3.5億人の珍獣ハンターに会いに行くために、言語をたくさん身につける

 

 

こと。

 

 

 

 

 

 

 

今私は英語レベル0.35(1がクリアレベル)ですから、日本語と合わせて1.35リンガルです。

さらに、内定者研修としてC言語を学んでいるので、こちらも0.35、合わせて現在1.7リンガル。

 

 

 

 

道は長いが幸せへの近道。

 

 

 

 

 

 

マルチリンガルに、俺はなる!!!!

 

 

 

 

自分のことを大事にしてくれるのは結局自分だけ

 

こんにちは。峠野です。

 

面倒くさがりのせい(あるいは友達がいないせい)で1ヶ月も放置してしまいました。たまごっちなら死んでいるところでした。

 

 

というのも、ブログに書くネタが特になかったからなんですね。またか、って感じですけど。

そもそもこのブログって、私のTwitterの延長線上にあるツールで、

 

 

「140文字!?そんなんじゃ足んねぇよ!!」

 

 

と、私の中の二宮和也が叫んじゃう時にしか使わないので。ちなみに今年の嵐ライブは外れました。我が愛しの山とにのあいと翔潤と大宮のユニソン、生で見たかったっす。

 

 

で、9月って何してた?って振り返ると大概推しのための資金集め(バイト)。そんなんもう

 

 

「殺意のダムが崩壊した。」(11文字)

 

 

しかないわけで。二宮和也「超余裕、寧ろ余る」と冷静になるレベル。

 

 

 

そして追加するなら、8月末にうたの☆プリンスさまっ♪ Shining Live」(通称シャニライ)が配信されたこと。(待望のうたプリ音ゲーのアプリだよ。気になる人はダウンロードしてね。)

好評配信中!|うたの☆プリンスさまっ♪ Shining Live(シャニライ)公式サイト

 

ソシャゲに初めての課金を捧げたり、毎日シャンシャン楽しんでいるけど、それも

 

 

 

「今日も推しが最高!」(9文字)

 

 

 

で済んじゃう。イヤ、書けと言われたら書けるけど、そんなもん好きな人以外からすると苦行のブログでしかない。私は好きなものの押し付けだけはしたくないので却下(既に若干してしまっている気もする)。

 

 

 

そんな感じで、ヤベェな〜〜書くネタねぇな〜〜シャニライイベント走るぜ〜〜と毎日を過ごしていたら、友達がいないので普段はうんともすんとも言わないPCメールに、一通のお知らせが。

 

 

「ブログ更新から1ヶ月経ったけど…そろそろ更新してくんねぇと寂しくて死にそう」(超御都合主義的意訳)

 

 

はてなブログさんから直々にこう言われてしまいました。

たまごっちは何度も死なせてしまったけど、あなただけは死なせない!

というわけで、更新に至りました。

 

 

 

私が数ヶ月前、「御社の☆プリンスさまっ♪」をプレイしてた(就活していた)ことは何度か言及したのでご存知だとは思います。

 

 

晴れて御プリもクリアし、スーツを脱ぎ捨て遊び呆けていたわけですが、昨日「内定式」(という名の懇親会)がありまして、再びスーツを着てそちらに参加してきました。

 

本来、内定式って10月1日だと思うんですけど、今年はその日が日曜日。弊社は前倒しということで、昨日に開催されたということです。

 

 

前にツイートしたとおり、内定先の同僚、女は私だけ。

 

 

 

「御社の☆プリンスさまっ♪」クリアかと思いきや、続編です。「御社の☆プリンスさまっ♪Repeat」とでもしておきましょうか。

というわけで、御プリRのプロローグ、「顔合わせ」

の開始です。

 

 

会社について、先に来てた内定者が待ってる部屋に案内されました。

 

 

男しかいねえ…………

 

 

と、声に出しそうになりました。何を言ってるんだわかってたことだろ?と思うかもしれませんが、もしガッキーを街で見かけたらなんて言いますか?

 

「ガッキーだ」「可愛い」「顔が小さい」「本当に存在していた」「好き」「最高」「ヤバイ」etc…

 

 

何を言ってるんだわかってたことだろ?

 

 

そういうことです。

 

 

 

とまあ、私含め8人の内定者で顔合わせしました。

このとき私は心に固く誓っていたことがありました。

 

今日は誰も笑わせやしない

 

 

 

と。

 

 

 

もういい加減、この芸人キャラとおさらばしよう。今度こそ、「峠野さんって可愛いよな」って裏で言われるような、そんな女になりたいんじゃ!!

 

 

ということで、耐えました。いつもの4分の1くらいの発言数。話したらすぐに笑いに走っちゃうので、話すことすらほぼタブー。地獄か?ここは地獄か?

 

 

 

まだ会社に来て20分くらいしか経ってなかったのに既に疲れていたところ、内定式が始まるとのことで、社長室っぽいところに通され、社長ともう1人偉い人と向き合う形で一列に立ちました。

 

 

そのとき、こう言われました。

 

 

「懇親会の自己紹介はくすりとさせてね」(※冗談トーン)

 

 

 

ま、マジか…

 

 

「峠野です。内定者研修が始まって不安しかありませんが、何とか頑張りたいと思います。また、同僚で女性が私1人ということもなかなか心細いですが、よろしくお願いします。」

 

 

こんな感じでいこうと本気で思っていました。くすりポイントなぞ一箇所もありません。はっきり言えばクソつまらん自己紹介です。ちなみにこういう無難な自己紹介をするすかした女は嫌いです。

 

 

 

 

あっという間に内定式が終わり、そのま懇親会の会場に移動しました。

 

 

移動途中、内定者の数人と「くすりとさせる自己紹介」についてずっと喋っていました(今気づいたけどここで結構喋ってんじゃねえか)。

その中で1人に聞かれました。

 

 

 

「峠野さんは面白い自己紹介とかあります?」

 

 

 

 

「そんなのないです〜!(即答)」

 

 

 

怖いよ〜〜!!!しれっと嘘をつく自分が怖い〜〜!!!!!

 

 

 

でも半分本当です。

私は持ちネタも武勇伝も一発ギャグもモノマネも大喜利も何もありませんし得意じゃありません。だから、「これを話せば間違いねえぜ」みたいな、保険がないんです

でも、多かれ少なかれ笑いを取れる自信だけはあります(これを自意識過剰という)。

 

 

「私は絶対事故んないぜ〜〜!」という気合いのみで日々生きています。ですから、いつかもし事故ってしまった場合、保険がないので死ぬしかないわけですね、アーメン。

 

 

このとき私の頭の中で「女をとるか?」「笑いをとるか?」を天秤にかけていました。

天秤は答えを示さないまま、懇親会の会場に到着し、立食型のパーティが始まりました。

 

 

最初のうちは同じ大学出身の先輩や、内定者研修での指導員の方など、紹介していただいた社員の方とお話。

これは普通に、無難にこなしました。

 

 

 

そのうち、あみだくじを選ばされ、自己紹介の順番が割り振られたのです。

私は8人中4番目という、それなりのくじ運を発揮しいいポジションを確保。

 

 

いや、正直順番なんてどうでもいい。

問題は、「自己紹介、女をとるか?笑いをとるか?」その一点。

 

 

 

 

自分の順番が近づくたびに「吐きそう…」「緊張がすごい」とボソボソ言ってたので、先輩社員の方々には「女の子だからそんなの(笑いをとることについて)気にしなくていいよ!気楽に気楽に!」と励ましてもらいました。

 

 

 

そして、私の番。

マイクの前に立った瞬間、

 

 

何かのスイッチが入る音がした。

 

 

 

 

「どうも!2018年度入社予定の!世界の女性代表、峠野です!!!」

 

 

 

沸く会場。先ほどまで喋っていた先輩社員の顔が、豆鉄砲を食った鳩のようだったのを私は忘れない。

 

 

 

マイク、人前

この2つが揃って、どうして私が黙っていられよう?

拍手と笑いが起こるたびに、どうしようもない快感が生まれたのです。

 

 

 

 

 

 

 

…………ということで、いつものごとく何を話したのかあまり覚えてませんが、私の高校デビュー?大学デビュー?それがダメなら社会人デビュー!大作戦」は初日にして崩壊しました。

 

御プリRとか言ってる場合じゃなかったですね。プロローグにして恋愛対象から外されましたからね。そんな乙女ゲームの主人公なんて今までにあるんですかね?

 

 

 

でも、こうやって誰かを笑わせるたびに、そして何より注目を浴びるたびに、私ってすげ〜〜!!!と自己肯定ができるようになります。

私大好き〜〜!!!私って天才〜〜!!!とも思える。

普段が自己肯定感の低い私ですので、こういう面で調整しているわけです。

 

 

だから、捨てられるはずもなかった。

最初から、女をとることなんてできなかったんです。

自分を相対的にではなく、絶対的に肯定できる手段はこれしかないから。

 

 

自分を手放しで肯定できるのって、なんだかんだ自分だけ。

親も、恋人も、友人も、肯定してくれる人はしてくれるけれど、手放しでとなると難しい。

自分を大切にして、愛してくれるのは、最終的には自分だけなんだから、自己否定なんかしてる場合じゃない。

 

 

 

 

 

というわけで、私は

 

 

 

芸人に転職します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(仕方ねえから書くか〜〜ってテンションで書くのはこれで最後にします。とても疲れた。)

 

当たり前のことに気が付けなくて、夏

 

 

 

こんにちは、峠野です。

 

現在私は帰省から戻るバスに乗っています。

明日からバイトが待っていると思うとかなり憂鬱ですが、金とそしてゆくゆくは推しのためです、頑張りたいと思います。

 

 

それはそうと、バスの中はかなり暇です。昨日スヤスヤと快眠だった私の瞼はちっとも閉じようとしません。パチパチと動きまくり、全く落ち着きがないのです。はしゃぐな〜〜!!

こうなってはしかたありません、ブログを書いて時間を潰そうと思います。よかったら暇つぶしに付き合ってネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて突然ですが、私には1つ悩みがあります。

 

そうそう。彼氏ができないとか、可愛くなれないとか、痩せられないとか、金がないとか、性格がクズとか、将来への漠然とした不安、日本経済の行方、国際関係の悪化への辟易…………

 

 

 

 

あ、1つじゃねえわ。むしろ無限大だわ。「悩んジャニ∞(無限大)」みたいな、某関ジャニ∞のメンバーの黒い感情が詰まったグループが生まれるレベルだったわ。

 

 

 

 

 

 

…………そうじゃなくて。

 

「結婚式、誰を呼ぶ?」って問題ですよ。

 

 

 

 

 

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ん???

 どうしたどうした?なんか騒ついてない?耳鳴りかな?私の気のせいかな???

 

 

 

 

いや、真剣に悩んでるんですよ。

 

結婚式ってどこまで(の付き合いの知人)を呼ぶべきなのかなあ。おそらくそんなに多くの人は呼べないし。この子を呼んだら関係的にこの子も呼ぶべきだけど、私との直接的な関係的にはこっちの子を呼びたいなあ。むしろ私の結婚式なんかに来てくれるのかなあ、面倒とか思われないかなあ、さりげなく「呪」って書かれた御呪儀渡されないかなあ………とかとかとか。

 

 

 

「いや結婚式に呼ぶ友人より先に彼氏作れよ」とかそういう都合の悪いことは、ちょ〜〜っと聞こえないな〜〜!耳鳴りがひどいからかな〜〜?うーん、徳永英明も目じゃないくらい何も聞こえないよ〜〜!!

 

 

 

 

もう年齢が年齢でね、こういう悩みが徐々に現実感を帯びて襲ってくるんですよ。大学生であり、それを言い訳にできる今はまだ「絵空事」「ジョーク」として消化することができますが。

しかし、卒業後(約半年後)はどうか。もうその言い訳がなくなります。周りの人たちの左薬指がどんどん煌めいていきます。時には、「ご招待」と書かれた手紙がやってくることもあるでしょう。あれだけ酒の場を盛り上げたネタが一気に受けなくなります。一発屋の芸人が飽きられ、冷めてしまう空気なんて比にもなりません。吹雪です。氷点下です。死人が出ます。

 

 

 

だから、まだジョークとして受け取られる今のうちに言っておきたいと思います。

彼氏がいないうちから…(笑)じゃないんです。いいですか、今のうちに言わないと消化できなくなるんです。年取ったら揚げ物がキツくなるのと同じで、この手の話をすれば消化不良を起こしやがて死んでしまうんです(泣)。

 

 

 

 

 

 

ということで、第一回チキチキ結婚式に誰を呼ぶか大論争が(私の脳内で)開催されることになったのです。

 

 

 

しかし、帰省する前、つまり一人暮らしをしている時の私はこう思っていました。

 

 

 

「私、友達いないな………」

 

 

 

 

このブログでも何度か「友達がいない」と表記したことがあると思います。

よく巷の大学生が「友達と何かをした」「友達とどこかに行った」等の発言をSNS上でしていますが、私はそう発言できるようなイベントごとが本当に少ないのです。大抵休日はお家に引きこもって、イマジナリーフレンドとの楽しいピクニック(平たく言えば妄想)くらいしかしてません。

 

 

私は人を誘うのがそこまで得意じゃないんです。誘って断られたら、私のこと嫌いなのかもと悪い方向に考えがちで、その感情をいちいち抱えるのが本当に面倒なんです。そんな負の感情を抱くくらいなら、映画も買い物も1人ですませる方が幾分も気楽なので、結局ほとんどのことを1人で完結させます。

強がりではありませんが、元々1人の時間が大好きなのも起因してると思います。

 

それに加え、LINEでの(無駄な)長いやりとり、電話が大の苦手です。

LINEの長いやりとりは、大事な話であるなら全然構いませんが、ど〜〜でもいい内容をいつまでも続けるのは好きじゃないんです。いつ終わるの?今です?私の中の林修も戸惑います。

私が好きじゃないのもあるし、これ相手も嫌じゃない?相手こそ終わらせて欲しいと思ってない?と考えるのもあります。この感情も面倒。

だから、LINEは用事が終われば自分から切ることを意識しています。そうすれば無駄な感情を抱かずにすむからですね。

電話に至ってはもう表情が見えないのが無理。表情なしでどうやって相手の感情を汲み取るんだ?と漠然と不安になります。声色だけで感情は汲み取れません、私は超高校級の難聴だから。こういった無駄な心配をしたくないので、電話は基本業務的な内容しかしたくありません。

 

 

…………それっぽい理由を並べてるけど、要は面倒くさがりなだけじゃないのか?と自分で書いていて気づきましたが、それは置いておきます。

 

 

 

 

とにかく、私にとって友人って「一緒によくいる人」「気軽に連絡を取れる人」という認識が大学生になっていつの日からか生まれていました。

 

だから、これに当てはまる人がとても少ない私には友達がいない、そう思い込んでいました。

 

 

まずい。このままだと結婚式に誰もこない。

関ジャニ∞徳永英明林修、旬の過ぎた一発屋芸人たちを呼んで友達がいないことをごまかすしかない……!!

 

 

 

そんなことを考えたり考えなかったりで、帰省してきました。

 

 

中学の同級生と高校の同級生に会いました。

会うのが久々だったから(久々どころかまたすぐに会う子もいる)というのはあったと思うのですが、とにかく話に花が咲きました。

時間に限りがなければ、半永久的に話せるんじゃなかろうか、そんな気さえしました。

あれだけ1人の時間が恋しくてしょうがない私が、もっとずっと他人といたいと思ったのです。

それくらい、話して笑ってすごくすごく楽しくて。月並みだけど、帰りたくないなあなんて思ったりして。ま、現在進行形で帰ってるんですけど。

 

 

 

色々と考えました。

私の友人の定義が、あろうことかSNSによっていつの間にか揺らいでしまっていたことに。

情けないこと山の如し。

 

別にしょっちゅう会ってなくてもいい。

別に気軽に連絡を取らなくてもいい。

会いたい時に会う、話したい時に話す。それでいいんじゃんって。

太陽は東から昇り西へと沈むように、知っている人からしたら当たり前のことだけど、SNSは真実すら霞ませる力を持っている気がする。

まるで目に見えるものだけが全てだと錯覚してしまう。全てを可視化しないといけない気がしてしまう。

多分こういう不安って、誰もが一度くらい程度の差はあれど抱いたことがあると思うんですよね。

 

私が好きならそれでいい。私が好きならみんな私の友達。

 

 

もう定義づけるのはあまりしたくないけど、あえて定義づけるならば結婚式に呼びたいと考える人のことかなと。

 

 

そう考えたら私、結構友達いました。

よかった。関ジャニ∞やらを呼ぶスペースなんてなさそう。村上はちょっと呼びたいけど。

 

 

 

 

とにかく学生時代の友人は結婚式に呼びたい。

そのためにも、お金を稼いで広い式場をおさえられるようにならなくてはいけないし、私だけじゃなく皆が楽しめるような結婚式にしないといけない。

頑張って楽しい思い出にしたいな!

 

 

 

 

 

 

 

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 …で、肝心の彼氏は?未来の旦那イズどこ???

 

私の結婚式イズいつ???

 

 

 

 

君の膵臓をたべたいをみてほしい!!!

※最初に言っておきます。「君の膵臓をたべたい」のネタバレが少しありますが、観て欲しくて書いたのでそこまでしてないつもりです。

一応覚悟を決めてから読んでください。

 

 

 

こんばんは、峠野です。

ここ最近はぐずついた天気ばかりで嫌になりますね。

東京は8月に入って今までずっと雨だということで、いやそろそろ泣き止んでくれ、空…………

 

 

とはいえ、雨空だからと言ってでかけないのも勿体無いので、2度目の帰省をかましている私は母親を巻き込んで映画を観て参りました。

忍びの国「君の膵臓をたべたい」の二本です。

 

前者に至っては、大野智が生き生きしている映画というレビューをうっすら見たので、嵐、中でも大野智が大好きな私が見逃すわけには行かねえぜという、オタク全開な理由でのみ観に行きました。

 

お陰様で、大野智の魅力が詰まった「忍びの国大野智オタクとしては拍手でした。

ですが、冷静になった私は思いました。

 

 

「これ、大野智オタク以外も楽しめるのか…………?」

 

 

と。

今回は詳細は省きますが、大野智が大好き!

という同志には是非観に行って欲しい。

 

 

 

そして今回の本題である、「君の膵臓をたべたい」

もうね、

開始15分でタオルがベタベタ。

上映終了後は両目がパンパン。

 

それくらい涙必須な映画でした。

 

そもそも、この原作の小説は、大学の生協で見たときから知っていました。

 

なんつー変態チックなタイトルだよ………………

 

生協の本棚に並ぶこの小説を見たときの第一印象です。

おそらくこの日本には、私以外にもこう思った人がわんさかいると思います。

 

 

「デヘヘ…………ぼ、僕…………君が大好きだよ……ああ……愛おしすぎて膵臓を食べてしまいたいよ……」

 

 

こういう特殊性癖を持った変態が登場すんのかな、みたいなね。偏差値が5の私は、行間を読む、空気を読む、想像するということがとても苦手です。

「月が綺麗ですね」と言われたとて、「そうですね」と、お昼休みをウキウキウォッチングするしかできません。あるいは、「だから何?」と趣も風情もクソもない返事しかできないつまらん女です。

 

だから、そういうマニアック向けの作品なんだろな〜〜としか当時は考えられず、小説に手を伸ばすことはしませんでした。

 

 

 

まあでも、なんだかんだあって映画を観に行くことにしました。別に私のどうしてこの映画を観たのか?という話なぞ誰も興味がないと思うので、飛ばします。

 

 

 

簡単にこの映画について紹介しますと、膵臓に疾患のある高校生の女の子と、その事をクラスで唯一知っている男の子のお話です。

 

 

膵臓って、内臓の中でも存在感が薄いと思うのですが、実はかなり人間にとって重要な器官なんですよ。膵臓がないと人間はエネルギーを作れないとかなんとか。だから、膵臓に疾患を抱えると、衰弱しやがて死に至ってしまうのです。

 

ですから、この女の子(咲良)も余命を言い渡されていました。

あと一年持つかどうか。

そんな命のタイムリミットを抱えながら、咲良は日々生きていました。

 

しかし、彼女は決して悲しい顔を人に見せる事をしなかった。それどころか、とあるきっかけで男の子(春樹くん)に自分の病気についてバレるまで、親友(恭子)にも誰にも話していませんでした。

病気について話せば、きっと優しい皆は気を遣ってくれる。今までのように接して欲しいと願っても、おそらくよそよそしくなってしまう。

それを避けたかった咲良は、ギリギリまで(私が思うに死んでからしか言う気はなかったろう)病気について誰にも告げるつもりはありませんでした。

いつも通り明るい笑顔で、誰にでも優しく。クラスの一番の人気者は、決して弱さを表に出さなかったのです。

 

私はもうこの気丈に振る舞う咲良の姿に涙がまず止まりませんでした。

春樹に病気がバレたときですら、いつものように明るく(可愛く)接する咲良。

 

いやいや。

 

もうすぐ死ぬことに対して悲観的なことは言わず、いつでも前向きな咲良。

 

いやいやいや??

 

 

私が辛い〜〜!!!!!!

 

 

 

感情移入しやすいタイプの人はきっとわかると思うのですが、咲良の気持ちになってみましょう。

もうすぐ自分が死ぬということが決まっていて、どうして楽観的でいられるでしょうか?

どうして涙を見せずにいられるでしょうか?

きっと、いや絶対、咲良の本当の気持ちはそんな明るいもんじゃないんです。

実際、「私が本当は死ぬのが怖いと思っていたとしたら、どうする?」と春樹に尋ねるシーンがあるのです。

 

やっぱり辛いんじゃん………

 

 

それでも、その辛いと思っている姿を決して人前では見せず、辛さは1人で抱えるのです。

誰にも迷惑をかけないように。

 

 

ふと、自分と照らし合わせてしまっていました。

私もここ最近に腎臓の検査で入院をしたんです。

その際、私は何をしたでしょうか。

 

 

Twitterで騒ぎ、挙げ句の果てにブログのネタにしました。

 

 

情けない〜〜!!!!!!

恥ずかしい〜〜!!!!! 

 

 

 

 

ほら、こういう時にぬかりなく自分語りを入れてくるところもダメだよね。

誰もお前の腎臓知らないから。

豚の餌にでもしておけば?

 

 

 

そして、咲良の病気を知ってしまう春樹の成長にも涙。

 

春樹は最初、「他人のことは興味ない」と、極力人と関わることをしませんでした。

だから当然友達もいない。1人で休み時間も本を読む、そんな大人しい地味な男の子でした。

しかし、咲良の病気を知ってしまったことで、半ば強引に咲良と関わることとなります。

咲良と一緒にいるうちに、気がつけば「心配する」ほど咲良という他人のことを気にかけるようになります。

分かりますか。

観客の気分は親です。

 

「春樹が笑った……良かったわ、一時はどうなるかと思った…………」

そんな感じで完全に母親目線で観られます。

 

 

 

咲良と春樹がお前ら完全に付き合ってんだろ…って感じの雰囲気で、しかも高校生で青春してて…………ってところに、またもや自分と重なる(正しくは比較する)ところがあったのですが、またコイツ隙あらば自分語りだなwwwと思われるのも嫌なので今回は黙ります。

 

 

 

いいですか、タイトルだけで判断してはいけません。

私も前述した通り、とんでもない映画なのではと思っていました。

 

 

観る前に、このツイートをしていた私をぶん殴りたい。

そんなふざけたトーンで膵臓を食うな。もっと真剣に食え。フォークとナイフ一式を用意してテーブルマナーを守れ。手でつかんで食ってんじゃねえ!!!!

 

 

とにかく、とにかく観てみてください。

途中でなかなか衝撃の展開もあります。

この映画ならば、デートの誘いで「一緒に膵臓を食べませんか?」という新しい口説き文句も使えますよ。

…………ひょっとしたら今やってる別の映画のお誘いに聞こえるかもしれないけど。