有終の美とは言うがいくらなんでも終盤がピーク過ぎる
こんにちは、峠野です。
年の瀬ですね、皆さんどのようにお過ごしですか?
故郷に帰省してウェイしたり、年越しイベントでウェイしたり、家に引きこもってウェイしたり、恋人の隣でウェイしたり…まあ人によってウェイの方法は様々でしょう。人に迷惑をかけない、犯罪をしないならどんなウェイでもなんでもいいと思います。というか他人のウェイ方なんてどうでもいいのが本音です。
そんな私はインフルが私の身体の中でウェイしてます。マジです。
帰省する日、つまりは仕事納めの日。仕事をなんとか納めて、納会とかいう会社の飲み会イベントに参加してる時くらいから、身体のだるさを感じてはいたんですが、まあ年末だし仕事が終わったばかりだし、お酒飲んでるし許容範囲かなあと甘く考えてました。
そして、納会の片付けを他の同期に放り投げて、私は駅へと走り新幹線に乗りました。
新幹線の中で落ち着くと、改めて感じる節々の痛み、寒気、頭痛、気持ち悪さ。明らかに風邪のそれでしたが、私は決して認めなかった。
「いや、これは風邪ではない」そう頭に言い聞かせれば、正直な私の身体も「それな〜」とか言って正常に戻ると信じていた。
すべては、さっき飲んだお酒のせい。空きっ腹で飲んだから。すべては酒だ。そう言い聞かせながら私は新幹線の中を過ごした。
家について暖房を入れてもコタツに入っても治らない寒気。違う。神奈川や東京より岐阜の方が寒くて当たり前。雪降ってるし。ただ身体が適応できてないだけ。
そうずっと言い聞かせてたのに、私の身体はいとも容易く敵の言うことに騙された。翌日になっても治ることはなく、病院に行ったらいとも容易くインフルA型だと認定された。コラ!!!素直になるのは私の言うことに対してだけでしょ!何敵の言うこと聞いてんだ!!
ということで、平成最後の年越しはインフルエンザとともに過ごすこととなりました。も〜〜♡インフルエンザウイルスくんったら私のことそんなに大好きだったの〜??しょうがないなぁ〜〜♡♡♡
ちなみに私にインフルをうつした人間を私は許しません。が、私も納会・新幹線・実家というルートをマスクなしで過ごしてたわけですから正真正銘のバイオテロリストです。12.28事件勃発。許されない人間です。
あ、でも私が原因の発症者がいなけりゃ12.28事件未遂だし、私はただの「バイオテロリストになりかけた人」ですね。よかったよかった。
てな感じで、「平成最後」の今年は(平成は一応4月末まで続くけど)、本当に私にとっては怒涛の一年でした。映画一本くらい余裕でできると思います。なんなら「前編」「後編」という二本立ても夢じゃない。
そんな「平成最後の○○」が目白押しだった今年を、インフルで寝るしかなくて暇である今、私なりに振り返って行こうかなと思います。
「お前の一年?そんなもん見るくらいならゆく年くる年でもエンドレスでみとるわ」といった感じで私に興味のない人間はここでさようなら!
私も他人が「振り返りまーす☆」とか言ってても、多分読みません。よっぽど面白い人じゃないと読まない。人間そういうもんでしょ。知らんけど。
さて、今年の1月ですが、最初の頃は卒論に追われてました。それはもう死ぬほどに。なぜなら、1月中旬から1ヶ月入院するということで、絶対書いてる場合じゃないと思ったので、人より早めに仕上げる必要があったのです。
ただ、やり始めるまでが面倒でたまらず、なかなか重い腰をあげなかった私は、「私の前で卒論という言葉を話した人間は燃やす」とかとんでもない過激派発言をしてました。さすが未来のバイオテロリスト(になりかけた人)。マジで卒論アレルギー。Twitterでも「卒論」をミュートワードに設定してたくらいにアナフィラキシーショックを起こすレベル。
まあ無事ね、卒論も完成して提出も友人に代理でお願いして受理されてるから今の私がおるわけです。帰省時に「海外逃亡でもするん??」ってくらいの荷物(卒論に使う文献)を持って年越し〜正月も書いた甲斐があったってもんですよ。
そして人生初の長期入院生活、合わせて人生初の手術。え、1月から「人生初」が目白押しすぎるけどこれ竜頭蛇尾ではない?12月とか振り返っても「生きた」くらいしか書くことないわ、なんてそんなことないよね???
1から2月は病床の上で過ごすという2018年の幕開けだったわけなんですね。別に虚弱体質というわけではないんだけど。風邪もそう簡単にはかからないし。
………まあこれを書いている今が絶賛インフルイベ中なんで、説得力皆無なんですけどね。
点滴・採血のたびに毎回気絶するかしないかの戦いを繰り広げていたので、看護師や医師にめっちゃ迷惑をかけた覚えがあります。私の血管が欠陥品であるが故に(うまくない)、さらに手こずらせてしまい、私の両腕を拠点とした「点滴・採血バトンリレー」も開催されてました。1回の点滴・採血が成功するまで、3回ほど選手交代したことがあります。
もうあんな生活はしばらくごめんです!!
2月に退院したものの、1ヶ月ベッドの上でゴロゴロしてただけの生活なのでかなり体力が衰えていて、ちょっと歩いただけでも死んでました。気分は婆さんです。なんと2月にはやくも急激に加齢しました。
ちょっと帰省して高校の友人と会ったことくらいしか記憶にないです。
3月は卒業式がありました。前に個別でブログを書いたくらいには力を入れた袴を着て、疾走感溢れる授与式にし、映え映えの写真を撮りつつ終わった。横浜とか言いながら横浜じゃない場所にある森の中の詐欺大学だったので、わざわざ親と赤レンガ近くまで行って写真を撮ったりしたなあ。
そして、今住んでる家に引っ越して。今までずっとユニットバスの家だったし、森の中に住んでたおかげで、今の家がマジでキラキラと輝いて見えた。いや、ひょっとしたら一瞬イルミネーションが室内で点灯してたのかもしれんし、私が輝いていたから反射したのかもしれん。
ともかく、これで私も都会の女だとようやく胸を張って言えるはずだと、一人暮らし5年目突入目前にして思った記憶があります。
まあ結論としては、これを書いてる今でさえ都会の女になんてなれてないです。方言と小学五年生で(いらんこと)会得した似非関西弁がいつまで経っても抜けません。未だに高いビルとか人が多い様とか見ると「都会じゃ!!」と、私の中のノブが叫ぶくらいなんで。
4月はまあ入社ですよね。もうこれは誰もが通るとは言え大きいイベントですよ。入社式ってことでね、会社に向かって(なんかあんまりその日の日中の記憶はない)、場所を移動して新人歓迎会を開催してもらってね。なんかうちの会社は内定決まってから入社まで無駄に何度も自己紹介させられるので、最後の自己紹介をして。名前書かれたチョコが乗ってたケーキなんかももらっちゃってね。
この時は全然社会人になるという気持ちではありませんでした。ええ。大人と飲むの楽しい〜〜!ってくらい。でもまだビールは小さいグラス半分が精一杯だった。今思うと愚かだな。
それから5月まで外部研修が始まった。お分かりの通り(?)私はがっつり文系出身で、作者の気持ちばっかり考えてたというのに、仕事は「作者の気持ち考える暇があるなら論理的に考えて」という鬼のように冷たい心の持ち主ばかりの、がっつり理系なわけです。
内定者研修で一応Cを習いましたけど。「は!!???void???返り値なしって何??返せよ、借りたものは返せよ!!あと引数って何???お前はなんの役割を持ってるの???(ほんとに理解できなかった)」ってくらいのゴミクズ理解力で、担当の先輩に迷惑をかけながらもやりましたけど。
でもまだレベル3くらいの、「スライム倒すのにちょっと慣れてきたかも?でも気をぬくとこっちが倒される!」くらいの勇者だからさ。右も左もわかんないわけ。それなのに新たにJavaとかいうのとか、なんかようわからんのをいくつかやらされて涙目ですよ。なんや図書館のシステムて!!と当時は叫んでた。
まあ今となってはCくんよりJavaくんの方がすき〜♡という見事な寝返りっぷりを発揮しているわけですが。浮気性だなあ〜〜!!!いけない女だなあ〜〜!!!!
そして6月になって、ほぼ7月末までの社内研修が始まりましたが、外部研修で涙目になってる場合じゃありませんでした。マジでずっと脳内「????」状態。それぞれの工程で、指導員の人たちが工程についてのオリエンテーションを開いて説明してくれたけどその説明段階で「????」状態。
にもかかわらず、周りの同期は頷くわ、発言するわで、あの場でわかってないのはきっと私だけだった。モジュールってなんすか、ってレベルなのにモジュール分割がどうだとか結合度がどうだとか言われてもわかんないんすよ。案1〜3でどれがいいかと言われても、前提条件の時点で「は????」って状態の人間なので、考えろと言われてもなんも考えられんくて。
最初はグループでの研修だったから余計に苦痛だった。いや、なんの戦略にもならん私、一体なにしとるんやろ?という気持ち。
話さんのも悪いから私の空っぽな頭をフル回転させて出せる案を出したのに、間違ってんのか合ってんの言ってくれへんからわからん。喋ってくれ。頼む。頼むから君はコミュニケーションをとってくれ。これ以上私を空回りさせんといてくれ。と某同期に強い気持ちを送っていたけど届いてなかったのもほんとうに最初の頃は辛かった。コミュニケーションが人間と取れない、という経験を人生で初めてしたと思う。
そうして製造工程からグループではなく個人になって楽になるかと思いきやこれもまた苦痛だった。製造はまだいい。難しい処理は完成していたから、どん詰まりにはならなかった。まあswitch文で書けば楽なのに、わざわざif文で書いたあの時の私は何を考えてたんだろうとは未だに思うけど(答:何も考えてなかった)。
でも問題はそこからだった。試験工程になってから再び「何言ってんのかさっぱりわからん状態」になった。ブラックボックス???同値分割???はあ???マジで意味がわからん状態で、試験項目を作りましょう、って作れるわけねえだろ!!!!と内心めっっっっちゃ思った。てか指導員の先輩に「できる気がしないっすね」とか言ったような気もする。一緒にレビュー受ける同期がまあ優秀で、私が一回のレビューで20個くらいの指摘を食らうのに、奴は5個もない、とかザラだった。まあ私ができなさすぎるのもあるけどね。
そんなこんなで毎日必死にやってんのに、遅延がアホみたいに発生して、取り返しがつかない手前に来たので、とうとうその同期からある部分を丸パクリ………いや、丸ごと拝借する事態となった。平謝りで拝借した。マジですまない、私ができない人間なばかりに……
私ができない人間なばかりに、その同期と指導員の先輩にはこれでもかというくらい迷惑をかけた覚えしかない。都合の悪いことは忘れる主義だけど、これは忘れられない事実。途中どうしようもなくくだらないミスに気がついて、込み上げてくる笑いに耐えられず笑いながら報告行ったけど、「いやお前みんな仕事してんのやぞ………」って感じだわ。
ちなみに、最初から最後まで「????」状態だったので、あと数日で研修終わるってときになってようやくあの研修用の迷路プログラムの仕組みを理解した人間です。指導員の先輩に丁寧に説明されてようやく。ほんとにあれはめちゃくちゃ笑った(笑い事じゃない)。
8月に配属。ちらっと良くない噂を聞いたけど、大きなプロジェクトかっこいい!というアホ丸出しな動機で、今の配属先を第一希望にしたら通りました。遠いのがめっちゃ難点やけどまあ良しです。
いざ配属されてみると、想像以上に大きなプログラムでまっっっったくわかりません。これを書いてる今時点でも全然わかんなくて、上司に泣きつきながら毎日仕事してます。ていうか毎日バグやら何やら発生しすぎ…………私が研修時に受けたような指摘を食らってるものもあって、なんだ〜〜人類皆兄弟なんだ〜〜仲間じゃん〜〜♡という気持ちになるときもある。
上司も他社の人もこの配属先の状況について「貴重な体験してますよ」とか言ってるんで、正直で素直で良い子な私は信じてあげようと思います。すごい体験してるらしいよ私ー!!
でも8月は勉強が主でした。このプロジェクトがどんなものか、その中でうちの会社はどこを担当しているのか、仕組み、仕事内容…………もしかして、これ、覚えること多すぎ…!?本当に頭がパンクしそうでした。今もです。今もキャパオーバー起こしそうです。あ、これインフルじゃなくて知恵熱だったんじゃん?(インフルです)
9月。もうね、私にとっては本当に一番やばい時期だったんですが、あえて言いません。わかる人にはわかるであろうことがありました。平成最後の(ギリギリ)夏にとんでもない爆弾です。爆弾ってより大花火???打ち上げた感じ。そっか、私花火職人やったのか〜〜!!たまや〜〜!!!!
まあ、人生花火のようにしたいというのが夢ですからね。花火打ち上げるのは必然でしたね。
10月。内定式があって「エッあれからもう一年?」って焦った。しかも多分内定者のほとんど院生だから年上が多い。これは先に昇進とかされちゃって虚しくなるパターンですわ…可能であれば、できないポンコツ人間からはやく卒業したい………
内定式で「お手本として」社長に指名されて無駄に自己紹介させられた。人事には「お手本にはならないとは思うし、ハードルをあまり上げないように」とか言われる始末。なんでじゃ。新歓が最後じゃないんか!!!!???なんも考えてなかったから行き当たりばったりで話したせいで、何を言ったかも覚えてないわ!!!!まあゆーて1年前から続けてる自己紹介、全部何言ったかほぼ覚えてないけどな!
11月。出会いもあれば別れもある、を実感した。あとは人生初の国家資格(と言っていいのか不安になるくらいのもの)を取得した。高校時代の友人が来てくれて、仕事や恋愛やらの話をひたのは楽しかったなあ。皆もっと関東に遊びにおいでよ〜〜私と遊ぼうぜ!(※そんなに友達多くない)
12月。そういえば忘年会でふつうに一杯目をビールで開始したけど、私はこの一年の間にいつの間にかビールがいけるようになっていた。いつからなんでしょうね。同期にいじめられた。それも二度も。三度目の正直、次は絶対引っ掛かんないっつーか私が景品を当ててみせるからな。
そしてこの月は間違いなくすっごく楽しかったし、今までの人生で一番幸せなクリスマスを過ごすなどして年末に向けてテンションを上げていったらなんと年末に熱が上がった。お前が上がってどうすんねん。しかもインフルって………おかげさまでインフルと一緒に年越し。やった〜〜♡これで一人の年越しじゃないね〜〜♡年越しの瞬間はインフルジャンプだね♡♡♡
という感じでとりあえず振り返りましたが、本当に怒涛だったんですよ。平成最後とはいえ、そんなにメニュー充実されちゃあお腹いっぱいになっちゃうんすよ。それくらいやばい一年だった。語彙力がないので怒涛とかやばいとかしか言えない。でもそんな様が一ミリでも伝わってたら嬉しいな!
ということで、2018年の峠野はこれまで。
来年は、死なないことと、大人の女になること、一人でも多くの学生時代の友人に会うことを目標に走り回りたいと思います。
年女だしね!猪突猛進!!!!(2つ目の目標が早くも崩れ落ちる)
来年もよろしくお願いします!みんな、良いお年を!!インフルエンザに死を!!!!