軽々しく命を扱うな、そうだそこのお前もだ
こんにちは、峠野です。
久しく筆を取っていませんでした。
いつの間にか年を越していたし、いつの間にか年次も上がってました。いやはや時間の流れは速いですね。年中無休の通勤快速だよ。この調子で行ったら、節目節目のイベントもあっという間に通過しちゃうんじゃないか。高速豆まきとか、高速年越ししちゃうんじゃないかね。高速年越しジャンプなんてもはや光速でしょ、私もとうとう異能力に目覚められるのかもしれないな。
閑話休題。
私は今、懐かしき道を通るバスの中にいます。
5年ほど前は、毎日のように歩いていた道。大学時代、バイトの往復で通っていた、大学最寄りとか言いつつ15分は歩く地下鉄の駅までの道。
今日はバイトに行くのでも、大学に行くのでもなく、とりあえず最後の「通院」を終え、その道を通りました。
尿検査シリーズ、とか言ってノリで2年半前に書いたネタが、まさかまさかで今の今まで続いていました。2周年迎えてました。いまのジャンプならそこそこ続いた方にカウントされるんじゃないか。あのサム8もそんなに続いてない。流石にヒロアカやらアクタージュやらの中堅漫画には勝てないけれど。ただ、私の「ドキッ⭐︎気絶だらけの病院生活-ホスピタルライフ-」(※編集者不在のためゴミダサタイトルでお送りしています)は途中から週刊じゃなくて月刊、そしてしまいには0.5年刊になっちゃったので、連載数としてはサム8に負けてしまいそうです。
いつものように─病院は移設によりめちゃくちゃ新しく綺麗になり、色々とシステム化していたのだが─採血と採尿を済ませ、診察時間の10倍以上の待ち時間の後、私の番が来ました。
半年ぶりの主治医。お久しぶりです、なんて言いながら椅子に座る私。
ただ、いつもと違って新しい病室だからちょっとキョロキョロする。移設したから綺麗ですね、そうか峠野さんは今日が初めてですね、…なんて、世間話もできるようになった。
検査結果を見て、「問題ないですね」と先生が言う。最初はアウトだった数値が、今やセーフもセーフ、健康へのホームランをかっ飛ばしている。
また半年後に受診かな、と思っていたのに、先生は意外な一言を言った。
「次どうしましょうか」
え。次?半年後じゃないの?
「数値も安定してますし、終診にしてもいいと思うんですよね」
「はあ…」
てっきり一生通院すると思ってたので、意外すぎて煮えきらない返事をしてしまった。それを感じ取ったのか、先生は
「半年後とかにまた来ます?それでもいいですよ」
と提案してくれた。
いろいろ考えた。ものの数秒だけど。
私の病気は自覚症状があるわけではない。どこが痛いとか、どこが苦しいとか、違和感を自分で感じ取ることもできない。
だから、ちょっと不安だった。放っておいて、悪化してたなんてことにならないのか、とかなんとか。
だから、受診しようと思った。正直新しい病院をまた堪能したいとも考えたから。
「じゃあ受診します。また半年後に」
「わかりました。…あ、半年後だと先生変わってると思いますが、ちゃんと引き継いでおきますね」
え。
先生がかわるなんて初耳なんだけど、、、、?
「次の先生も受診必要なしと、今後判断するかもしれませんね」
私は自分の受診のことより何より、それがいちばんのショックだったから、ぽかんとしてしまった。
受診する方向で話は進んでいたし、先生のプライベートを漁ってしまうようで気が引けたが、どうしても気になってしまったので、聞いてしまった。
「あの、先生がかわるってどうしてですか、、、?異動とかですか、、?」
すみません、と付け加えてちょっと申し訳なさを出した(つもり)。
「実家の方に帰るんです」
そうか。じゃあもう、私はこの先生にきっともう会うことはないのだ。
そう考えた途端に、ものすごく悲しくなってきてしまった。
たちまち、受診への欲が消え去っていく。
「通院やめたとしたら、何をきっかけにまた通院ってことになるんですかね?」
「健康診断の結果ですね、最初もそこからいらっしゃったと思うので」
「ああ、なるほど…」
…私が不安に思っていたことはこれで解決された。ならば。
「受診どうされます?」
「やっぱり、やめておきます。健康診断で判断ができるのであれば」
「そうですね、問題ないと思います。
いやー、今まで本当にお疲れ様でした。大変だったよねえ、採血とか腎生検とか治療とか…」
そう聞いた瞬間、心の奥がじわりと熱くなった。そうして、あの時の記憶というより感情が目まぐるしく私の中を駆け巡った。
…あれ、これ、私死ぬ?死ぬんか?走馬灯ちゃうか、これ?うわー「きぜホス」死亡ENDかーーー、すげ〜叩かれそう。つーか、話題にもあがらなさそう。
大学の健康診断で尿検査に引っかかったあの時。
ウエハースの如く軽い気持ちだった。それはもう、飛んでいってしまいそうな、セフレが数人いて、「彼女にして」と言われた途端に連絡を途絶えて新しい女を仕入れる男のように、この先のことなんてなんとも思っちゃあいなかった。
結構拙い段階で、治療が必要だと知ったあの時。
おちゃらけて強がってはいたけど、冷静になると涙が止まらなかった。
治療が始まって辛かったあの時。
腎生検は痛みより何より想像したものがきつすぎた。多分私は想像力が現世に産み落とした、想像力を司る神なのではないかと疑った。そんな私を一瞬で安心させる聖川真斗も神だと思う。
採血で大騒ぎしていた時。
血管が細くて見つからない上、捻れていて刺しにくいとかいう意味のわかんねえ体質のせいで、何人もの医者や看護師が唸った。しまいにはボールペンで「最悪ここを刺す」という印を付けられた。最悪ってなんだ?ボールペンでマーキングされるこの瞬間のことか?
手術が終わってご飯が食べられないあの瞬間。
ワシは何か大罪を犯したんか??と今なら、ノブが心の中で叫んだと思う。喉が痛いし、熱が出るし、扁桃腺がないせいで起こる自分のいびき(?)で寝られないし、隣のババアが頭おかしくて寝られないし、いやはや私がババアか?と疑わざるを得ない流動食しか出ないし。なんなら塀の向こうの大罪者の方がいいご飯食っとるで。
友達がお見舞いに来てくれたり、手紙をくれた時。
病院にいたのに、すごく楽しかった。お見舞いの品は、とっておけるものは全て今でもとってある。私にとっての宝物だ。
最後まで付き合ってくれた母親の姿。
ちょっと近くのコンビニに行ってくる、みたいなレベルで岐阜ー横浜間を何度も往復してくれた。入院中、不安が和らいだのも、不便を感じにくかったのも、母親の存在が大きい。
とにかくとにかく色んなことがあった。
その時の感情をいっぺんに思い出したもんだから、じんわりとした熱が、次第に目頭の方に移っているのが自分でもわかった。
泣くな。
その3文字をループしながら、先生の顔を見つめ、ただ一言を発した。
「本当に、ありがとうございました。」
病室を後にする私を、
「お大事にね」
先生は、穏やかな表情で送り出してくれた。
この先生の「お大事に」という声を聞くことは、この先決してないのである。
こうして私の、一生続くと思われた(当初はそうやって言われたんだもん)通院は、一旦幕を閉じた。
最初から(とりあえず)最後まで、先生が関わってくれた事実が欲しかった。
だから私は、終診を選択した。
落ち込むと、結構な頻度で私は死にたがる。命がいくつあっても足りない。大安売りセール。死神がいたらそりゃもうお買い得。
だけど、私は今生きるためにあんなに辛い思いをした。色んな人に心配や迷惑をかけた。
死ぬなんて簡単に言っちゃだめだ。
綺麗になったあの病院を、病気で利用するのではなく今度は出産など未来のある目的で利用して楽しみたい。その時の主治医とも仲良くなりたい。また採血や検査で大暴れするかもしれないけれど、なんとか乗り越えて「お疲れ様でした」と先生と笑い合いたい。
そんなことを帰りのバスを待つときに思った。